2019/07/05

児童文学を読む意義は想像力・共感力・創造力を育むこと






児童文学 読書 想像力 共感力 創造力

canvaより




経験に勝る学習はない。

このことは真実でしょう。

畳の上の水練という言葉があるように、いくら畳の上で泳ぎの練習をしても、実際に水中で試してみなければ、泳ぎを体得することはできません。






世の中の多くの事は、実際に経験してみなければ分からず、理屈は時として何の役にも立ちません。

これは身体的なことに限らず、精神的なことも同じです。

喜びや悲しみなどの感情も、頭で理解するものではありません。

我々が望外の喜びを経験したとき、身体が躍り上がります。

桁外れの怒りを抱いたとき、血管が浮き出て身体が震えます。

このように、感情は身体と通じており、喜怒哀楽も皮膚感覚で理解するものです。

そういう意味において、読書は読むという経験ではあるものの、直接身体を動かしているわけではなく、頭だけを働かせている間接的な状態です。

しかし、良質な児童文学は、読み手がいつの間にか物語へ没入し、登場人物へ感情移入しています。

自分が本の中のキャラクターとなり、本の仮想世界を実際に生きているように感じられます。

多感な時期に読書体験がない人には、この高揚感や夢中度を分かってもらえないかもしれませんが、これは本当に経験に近いと言えるものです。

優れた冒険小説は、他のどんな冒険漫画よりも、他のどんな冒険映画よりも、他のどんな冒険ゲームよりも、人物が躍動します。

その理由は、文字から成る小説は、与えられた画像を追うのではなく、イメージを自分の中で作り出すものだからでしょう。

視覚から受け取る情報は非常に大きな割合を占めます。

それらを受動的に追うことと、自らが想像し、能動的に動かしていくことには大きな隔たりがあります。

文字を追う小説は、こうして物語に没入することで、他人の人生を追体験し、その感情すらも擬似的に経験できるのです。

そこにこそ文学の存在意義があります。

人の一生で経験できることは限られています。

人生は有限であり、幾つもの人生を生きることはできません。

だからこそ、幼い時期に親友や肉親を亡くすとか、友達に裏切られるとか、僻地を探検するとか、実際に経験できない、経験したくない出来事を小説で追体験することが必要なのです。

そこで得られるのは単なる知識ではなく、実感を伴った他人の悲しみや苦しみの追体験であり、そのことで、社会に生きる様々な人々の気持ちを理解できるようになるのです。

このように、優れた児童小説を読むことは、子どもたちの想像力と共感力を育むことになるのです。

そしてまた、文字から映像を生み出す想像とは、創造に他なりません。

その意味は、例えば、


「霧深い山道を、帽子をかぶった一人の老婆が歩いている」


という場面があるとします。

そしてこの場面をイメージするには、自分の中にある、


「深い霧・山道・帽子・老婆」


という映像を瞬時に組み合わせる必要があります。

つまり自分の持つ材料から、最適な組み合わせを即座に創り出すことが求められるのです。

優れた文学を読むということは、想像力だけでなく、共感力や創造力すらも巧みに喚起されるのです。


人が想像できることは、必ず人が実現できる。


これはテクノロジーに限ったことではなく、各個人が生き生きと暮らせる理想的な社会も、本によって育まれた子どもたちの想像力と、共感力と、創造力によって築かれていくはずです。








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