2019/05/26

バーチャルな小学生の異文化交流 サマースクールだけがすべてではない?






サバンナの地平線に沈む太陽とシルエットで浮かぶ二匹の象



RENE RAUSCHENBERGERによるPixabayからの画像 



子供たちの異文化交流として真っ先に上がるのは、夏季休暇中に、短期留学のような形で海外の英語圏へ訪れるサマースクールです。

先進国は均質化しているとはいえ、異国の地で触れ合うものは刺激を与えてくれます。





子供へのインパクトを考えると、海外の僻地などが面白いと思いますが、金銭・時間・危険性などから実現が難しいでしょう。そんな中で面白い書籍を見つけたので、私はそれを活用した異文化交流を子供に行ってみました。

そこで使用した本は、 アフリカのケニアで遊牧民として生まれ、後にアメリカに渡り、ハーバード大学へと進学した男性が自伝形式でマサイの暮らしを伝えている本です。

その本には、 著者が幼い頃の話として、家から何十kmと離れた牛の放牧場へ向かい、はるばる到着したその場所での寝床は、地面に牛の皮を敷いた星空の下であり、さらにその場所で、なんと野生のライオンが牛を狩りに襲ってきたと記されていました。


野生のライオンが襲ってくる?


このとんでもない記述は、間違いなく文明国・日本で育つ息子の教育に使えると考えました。

そこで私は、息子のslackに次のような文面を書き送りました。


おい! お前と同じぐらいのアフリカの子供は、牛と一緒に野宿することがあり、しかも野生のライオンが襲ってくるそうだ。

ピーマンまずいとか言ってる場合じゃねーぞ!

さらには、皆で力を合わせてそのライオンと戦うらしいぞ!



そんな私の文面に対し、息子がスラックで送ってきた言葉は放送禁止用語でしたので、家に帰ってもう一度このライオンの話をすると、


アフリカじゃそれが普通なんでしょ。


と言葉を返してきました。

確かにマサイ族にとっては珍しいことではなく、私は返す言葉に詰まってしまったのですが、絶対に何かを感じているはずだと思い、次の日も以下のようにslackで送信しました。


おい! マサイ族は、8歳の子供でも自分の槍を持ち、戦士として野生のライオンと戦うそうだぞ!

どうだ、この本を読みたくなっただろ?



私はとにかく息子がこの本を読み、世界には自分とは全く違う環境で暮らす同級生がいることを知ってほしいと思いました。

私が「野生のライオン」と聞いて想像するのは、ナショナルジオグラフィックが収めた一枚の写真と、そこに添えられた臨場感あふれる文章です。

普段我々が思い浮かべるライオンとは、可愛らしいぬいぐるみであったり、ライオンキングやジャングル大帝といった愛嬌のあるキャラクターだったりします。

しかしナショジオに掲載されたその一枚は、それらとかけ離れた、THE野生のライオンを激写しております。

その一枚は、是非とも「傑作写真ベスト100」で堪能していただくとして、ここに文章だけ引用します。


ライオンは堂々と落ち着き払い、私には全く関心を示さなかった。

乾いた大地を行くこの雄ライオンは、「カラハリ砂漠に君臨するライオンの力と自由を体現していた」


引用 ナショナルジオグラフィック傑作写真集ベスト100 (日本語)



野生のライオンといえども、いつも狩りが成功するわけではなく、捕食される側の抵抗に遭うこともありますが、この写真と一文からは、サバンナの頂点に立つ、威風堂々としたライオンの姿が物の見事に迫ってきます。

もっとも、文明の波が押し寄せた現代のマサイでは、道路が敷かれ、携帯電話が持ち込まれ、学校に通う子供も増え、環境保護の思想も入り込み、狩りとしてライオンと対峙することは減っているようですが、それでもまだ伝統的な遊牧を営み、野生動物と共生するマサイ族もおり、本文中に、


ライオンに喰われなくて幸運だったな


とか、


野生のゾウは危険で殺されることもある


との記載もあるように、危険と隣り合わせで百獣の王ライオンと対峙する現地人もいるのです。

そして、こんな日本では想像もつかない暮らしに息子が想いをはせることで、自分の立ち位置や極東の島国・日本について、何かを感じるきっかけにしてほしいと思いました。

ただ息子は、アフリカではそれが普通だと言葉を返してきたように、過去にも異文化を教えるために、アフリカでは泥水を飲んでいる子供がいることや、何時間も掛けて水を汲みに行く子供がいることを話したときも、ここは日本だから、と生意気なことを抜かしやがりました。

私は、どうしたら息子がこの本に手を伸ばしてくれるか、次に取るべき手段を考えながら家に帰りました。

家に着いて玄関を開けると、息子が勢いよく目の前に現れました。

そして、右手には段ボールで作られた剣が握られ、私を攻撃してきました。

息子はマサイのチビッ子戦士に触発されていたのでした。

私はニンマリと心の中で笑い、スラックで送った文面の効果を噛みしめました。

いま世間ではグローバルな教育が盛んに叫ばれていますが、グローバルとは、ローカルの基盤があってこそ成り立つものです。

もし日本の学校にインドから転校生が来たら、真っ先に聞きたいことは、


君の家のカレーはどんな味なの? スパイスから作るの?


となるはずです。

日本人の子供が海外に転校したとき、現地の同級生から、


日本は
チョップスティックスの文化なのに、どうして寿司を手で食べる日本人がいるの?


と聞かれ、僕よく分からない、と答えたら、なんだアイツはジャパニーズじゃなくてチャイニーズかコリアンか? などと言われてガッカリされ、仲間に入れてもらえないかもしれません。

つまりグローバルに対応するとは、英語が話せることよりも、まずは自国の言語や文化を知ることの方が大事であり、その確立されたローカルの違いにこそ、グローバルの人たちは興味を示し、またそこから学ぼうとするのです。

日本のカレーがインドで驚かれたりするのも、本場とは違う文化圏で育った違う味のカレーだからであり、そもそもサマースクールの大きな目的も、異なる文化に触れ合うことのはずです。

そして、息子がランドセルを背負って学校に行き、休み時間に友達と校庭を駆け、楽しく鬼ごっこやドッジボールをしている時に、世界では野生のライオンと戦う同級生がいることに心が動いたように、異質との衝突や組み合わせにこそ、成長やイノベーションの契機が潜んでいるはずです。

その後息子と、野生のライオンと戦うことについて話を深めました。

そこで息子は、「僕は爆弾と銃を持っていく」と多少物騒ではあるもののゲームの影響から語っていましたが、この文明の利器を、原始的な生活を営むマサイ族に提示すれば、「そんな方法があるのか」と受け入れるのか、「俺たちは携帯電話は使うが、伝統的な槍は捨てない」となるかは分かりませんが、そのような方法や考えの違いを学び、思考の枠を広げていくことこそ教育の本質のはずです。

いまバーチャルリアリティ(VR)の市場が勃興しつつあります。

これに高度のAIが加わると、息子が頭の中で作り上げたサバンナの大地を、現実に近い臨場感を伴った場面として経験できるかもしれません。

文明の行き届いていないサバンナの大地に降り立ち、危険な野生動物と間近に接し、壮麗な落日を眺め、夜は燦然と輝く星空を見上げ、真っ暗闇に野生のライオンが襲ってくる状況を体験し、バーチャルのチビっ子戦士から、


「僕たちは野生のライオンと戦っているけれど、君はピーマンと戦っているんだね」


などと言われ、くそう俺をバカにしているのか、などと奮起し、苦手なピーマンを克服できるかもしれませんし、いや逆に、


「苦手な食べ物を馬鹿にするな! 食物アレルギーで苦しんでいる子が沢山いるんだぞ」


という言葉を子供は返すかもしれません。

過去に小学五年生の女の子が、学校給食で余ったチーズ入りのチヂミを皆の分まで一生懸命に食べ、不幸にもアナフィラキシーショックで命を落としてしまったように、食物アレルギーを持つ本人や親御さんの気苦労は計り知れないものがあるはずですが、アレルギーは文明病とも言われ、衛生状態が良すぎて菌との共生が行われず、腸内細菌に関わる免疫機能が上手に働かないことが原因の一つとしてあるようです。

もちろん、アフリカにもアレルギーを持つ子はいるはずですが、都会っ子の対策として挙げられることの一つに、幼児期に動物園に行き、動物が持つ多種多様な菌と触れ合って共生の環境を作るというものがあるように、野性児と都会児の著しい生育環境の違いは、精神面だけでなく身体面にも変化を及ぼすことは確実であり、その両者が語らうことで何かが産まれるはずです。

このように、VRを文明の衝突として使用し、またたとえ文化が違ったとしても、同じように友達・異性・親などの人間関係で悩むアフリカ人に対し、同じ人間としての共感を得ることも可能でしょう。

そしてこのVRは、歴史上の偉人を登場させて活用することもできます。


宿敵・ポンペイウスを倒す決断をし、ルビコン川を渡ったカエサル

強敵・今川義元の大軍を前に、この世の無常を再確認し、今この瞬間の生に賭け、敦盛を舞った織田信長



このような歴史の分岐点となった決断に直に触れ、


「君もいつか大きな決断をするときが来るかもしれないな」


などと声を掛けられ、自分の人生に活かすこともできるでしょう。

このように、異文化だけでなく異世界や異世代と濃密に交流し、思いも寄らない出来事に触発され、新たな自分を発見したり成長していくことは、これから発展していくだろうVRの世界では実現可能です。

もちろん、現実世界で行える異文化との交流も大切ですが、自分の頭の中で自由に想像できる書籍を活用した異文化交流や、実現が難しい僻地におけるVRを活用した異文化交流も、十分に子供たちを変えていく力を秘めているはずです。







ちなみに本記事に登場した書籍は以下です。

ぼくはマサイーライオンの大地で育つ(ナショナルジオグラフィック)ジョゼフ・レマソライ レクトン さくまゆみこ(翻訳) さえら書房







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