2019/05/06

芸術活動の源泉は衝動や感動ありきなのか? そのことを仏師の運慶から紐解いてみる






国宝 大日如来坐像 運慶作  奈良・円成寺 芸術家 仏師 


国宝 大日如来坐像 運慶作 
奈良・円成寺
Wikimedia Commonsより 


奈良・東大寺の山門には、巨大な一対の仁王像(金剛力士像)が、参内者を威嚇するようにそびえ立っています。

この睨みを効かせた国宝の仁王像は、鎌倉時代に活躍した仏像を彫る仏師・運慶の代表作として知られています。





この迫力と躍動感は、単に木を削り、それらを継ぎ合わせただけの仏に、魂を込めようとした創作者の想いが表れており、お寺の守り神に相応しい姿形と言えるでしょう。


仏作って魂入れず(ほとけつくってたましいいれず)


ではなく、仏を作り、そこに魂を注入した仏師の面目躍如といったところかもしれません。

冒頭に掲げた画像である、運慶最初期の作品・大日如来坐像も、密教における本源の仏であり、宇宙の絶対性を示す万物の根源でもあり、その仏が、生きとし生けるものの衆生を包み込み、両者が一体であることを示す智拳印(ちけんいん)を結ぶ姿と、そのふくよかで穏やかな相に、創作者・運慶の込めた想いを見取ることができます。

こういった彼らの仕事振りを表す言葉に、以下のようなものもあります。


木に埋まっている仏像を、丁寧に削り出すだけである


この表現は、神秘さを醸し出すための誇張も含まれていると思われますが、この言葉の肝は、彫刻家が作品を生み出すとき、既にそのイメージは出来上がっているということです。

芸術家が創作活動に入るとき、一般的に二種類のケースが考えられます。

一つ目は、インスピレーションによって既にイメージが出来ている場合と、全くの白紙の状態のときです。

画家の横尾忠則氏や作家の三島由紀夫氏など、あまたの創作者に影響を与えた芸術家の岡本太郎氏は、すべての作品にはまず感動という心の動きが存在し、それを形にしていくと述べています。

キリスト教関連の小説で世界的に有名な遠藤周作氏も、自分にはその体験が乏しいと前置きしつつも、優れた芸術家が作品を産み出す過程は、まずは衝動ありきだとして次のように言葉に残しています。


作品が生まれるまでのあの言い知れぬ内面の疼き。ひとつの貝の内部で核となる部分が次第に成長してつややかな真珠をうみ出すまでの成熟の過程。その過程に似た意識的な精神の働きと無意識的な心の作用とが少しずつ作品を創りあげていく営み。


引用 キリストの誕生 遠藤周作 P26 新潮社




芸術家は自分が創作の衝動を受けた素材を、そのまま描いたりせぬ。素材は真珠貝のなかの核に似ている。芸術家の心の営みのなかでその素材は別の場所に移し変えられ、別の次元に再構成されていく。そして創り出される作品はやがて素材とは外見上、似ても似つかぬ色彩や構成やイメージを持ったものになっていく。


引用 キリストの誕生 遠藤周作 P27 新潮社


これとは逆に、まったく構想が定まらない中、筆を進め始める小説家が数多くいるのも事実です。

そして、取り敢えず思うがままに筆を進めていった結果、大作が完成したということもあるようです。

しかしこれは、目的地もなく大海原に漕ぎ出すことと同じであり、運良く宝島に到着することは、稀にしか起こらないでしょう。

ただし、豪華な船で、熟練した乗組員が大勢居り、燃料も食糧も豊富にあれば、話は少し違ってきます。

小説を例に取ると、新聞に連載している場合などです。

新聞に連載されている小説は、何十万何百万人の読者がおり、ここで大事なのは、宝島という大きな目標へフォーカスすることではなく、安定的に航海することです。

それはつまり、連載を落とさないという継続力です。

ある作家が、話の展開に詰まってしまい、ここは熟考したいので一ヶ月休ませてくれと言っても、新聞小説ではそれは許されないでしょう。

なぜなら、そのような長期の休載を行えば、毎日楽しみにしている読者にそっぽを向かれ、新聞の沽券に関わる問題にまで発展することが予想されるからです。

新聞小説の連載が、漫画・ハンターハンターで有名な冨樫義博さんのように頻繁に休載することができないのは、新聞小説が、漫画雑誌のように数ある作品の中の一つではなく、それが唯一無二の掲載だからであり、もし休載が起きそうであれば、文章に精通した名うての記者たちや、豊富な過去の取材データや、多額の取材費を使用することで、乗り切ろうとするはずです。

これはまさに、目的がなくとも、豪華客船が悠々と大海原を漂っているイメージです。

しかし、本当に人を感動させる小説とは、絶海の孤島に流された人間が、遥か遠方に宝島を見つけ、そこから知恵と情熱を総動員し、その宝島を目指し、辿り着いたときです。

もちろん、目的のない豪華客船が、運よく宝島にたどり着く可能性はありますし、万ではなく億に一つ、貧弱な小舟で漕ぎ出し、どこにあるか分からない宝島にたどり着く場合があるかもしれません。

また、はじめから真っ直ぐ宝島を目指した豪華客船が、易々とその目的地にたどり着く場合もあるでしょう。

しかし、最も読者の心を揺さぶるのは、絶海の孤島に流された人間が、宝島の地図を発見し、それを知性で解き明かし、鋭利な道具を作り上げ、木を削ってどうにか船を作り出し、風や雲などの動きを読みながらと、自己の能力を一つの目的へと集中させ、最後は情熱と勇気を持って大海原に漕ぎ出し、嵐や高波を乗り越えながら、喉の渇きや食糧不足に悩まされながらも、どうにか宝島に辿り着いたときなのです。

つまり、芸術作品における大作が産み出される過程とは、岡本太郎さんや遠藤周作さんの言うように、衝動や感動、またはインスピレーションという目的地ありきなのです。

それを分かっていたこの両名は、本物の芸術家だったと言えるかもしれません。








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