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2018/05/17

偉人が残した嘘や名言から学べる事 シュリーマン「古代への情熱」








シュリーマン(ドイツ シュヴェリーン)

撮影者 Doris Antony
Wikimedia Commons  CC BY-SA 3.0



後世に名を残した偉人の伝記に、無垢で幼い子供たちが触れるのはとても大切です。

その理由は、


大きな夢を持つことの大切さ

努力をすることの大切さ

困難を乗り越える方法


などを学べるからです。





しかし、大概の伝記は誇張や嘘が混ざっています。


特に有名なのは、考古学者・シュリーマンの自叙伝である「古代への情熱」です。

多くの読者を虜にしたこの本は、ウソで塗り固められていると研究者から指摘されています。

1822年北ドイツに産まれたシュリーマンは、40歳を過ぎてから、小さな頃からの夢であった遺跡の発掘に乗り出します。

片時も離れることのなかったその夢とは、神話の世界だと考えられていた、ホメロスの叙事詩「イリアス」に描かれたトロイア戦争の舞台を探し当てることでした。

しかし、まずこの本人の語る美化された動機に疑いが持たれています。

8歳のとき、父からクリスマスプレゼントとして贈られた一冊の本「子どものための世界歴史」に添えられた、炎上するトロイアの城に魅せられたとする話が創作とされています。

他にも、自らが発掘した遺跡を是が非でもトロイアだと導くため、都合の良い証拠だけを取り上げ、時には捏造も行い、牽強付会に証明している点が批判されています。

そして現在でも、発掘場所のヒサルルクの丘がトロイアであった決定的な証拠は見つかっておらず、にもかかわらずトロイの古代遺産として世界遺産に登録されており、そのことも自叙伝への反発を生んでいるようです。

このように自伝とは、何らかの目的で様々な化粧が施されおり、後世に伝わる偉人像とは、必ずしも正確ではありません。

しかし、伝記を読む子供に対して横槍を入れてはならないでしょう。


そのエピソードは嘘だ

その性格は美化されている

実はそんな業績を挙げていない


このような台詞は野暮の極みであり、するべきではないかもしれません。

なぜならその嘘や誇張が、子供の心に火を付けることがあるからです。

16世紀フランスの作家・フランソワ・ラブレーはこう言いました。


三つの真実にまさる 一つのきれいな嘘を


綺麗な嘘だからこそ感銘を与え、心に火を灯すことがあるのです。

シュリーマンが抱いた動機の美しさと、胸に秘めていた壮大な夢と、成し遂げた偉業に、心を躍らせた少年少女が大勢いるはずです。

ここに私は、嘘の物語である小説に可能性を見出だすのですが、大人になってから真実を知り、落胆する場合もあるでしょう。


あのときの感動は何だったのか?

ふざけるな!

お前の伝記を読んで興奮した俺は馬鹿じゃないか

あの感動を返せ!


と嘆く人がいるかもしれません。

そして、世の中なんて所詮夢も希望もない、とがっかりした人がいるかもしれません。

もしかしたら、自分が美化したイメージが壊れるのを恐れ、真実から目を背ける人がいるかもしれません。

ここにもう一つの言葉があります。


来てみれば 聞くより低し富士の山 釈迦や孔子もかくやあるらん


この句は、長州藩士・村田清風が残したものとされていますが、伝説や伝記が誇張して流布されている状況を端的に表しています。

そして、ここから派生した別の句があります。


来てみれば さほどでもなし富士の山 釈迦や孔子もかくやあるらん


この句が実際に清風の詠んだものとも、よみ人知らずとも言われていますが、では、江戸時代の若者が発した言葉であると想定し、話を進めていきます。

若者は周囲の人や本などから富士山の素晴らしさを吹き込まれていたのでしょう。

期待が大きければ大きいほど、裏切られたときの落胆も大きくなりますが、若者は実物の富士山を見て、予想外れだと感じました。

一般的に富士山の美は、曲線のシンメトリー(左右対称)にあると言われており、作者はもしかしたら違う角度から観たのかもしれませんし、一部が雲で覆われていたのかもしれません。

また、空が澱んでいたのかもしれませんし、本人の体調が優れなかったのかもしれません。

もっとも我々が抱く富士の美は、雪化粧も含めて世間の固定観念に囚われているだけで、実はなんでもない山なのかもしれませんが、この句の作者が富士山に魅力を感じなかったことは確かです。

ではこのときの作者の心境を考えてみます。


「凄いと言われていた富士山がこれだから、釈迦や孔子も言われているほど大したことはなく、普段学んでいる仏教や儒教の教えもあまり意味がない」


「尊敬の念を持っていた釈迦や孔子のイメージが崩れて残念だ」


「人の言うことは当てにならず、信じるのはやめよう」


このようなマイナスの捉え方をしたかもしれませんが、次のように考えた可能性もあります。


「人の言うことは当てにならず、自分の目で確かめることが大事であり、釈迦や孔子についても、教師や学者の講釈ではなく、自分で原典に当たり、自分の頭で考えることが大事である」


「実在の釈迦や孔子が大した人物でないならば、同じ人間である自分もそのような偉人になれる可能性がある」


このように、起きた出来事をプラスに転換していけばよいのです。


「自分の目で見て確かめる」


「偉人も同じ人間である」


この認識は非常に大切であり、特に二点目は、社会の荒波に揉まれ、希望を失っている大人にこそ必要です。

画家の岡本太郎さんは、法隆寺金堂の壁画が火災で焼失し、当時の関係者が慌てふためいていたときのことを回想し、次のように言い放ちました。


法隆寺は焼けてけっこう。自分が法隆寺になればよいのです


たとえハッタリでも、惚れ惚れする言葉です。

今まで見てきたように、後世に伝わる史実とは、誰かが都合よく改ざんしている場合が多いのは確かです。

本人の見栄や、商売のためや、取り巻きの願望や、権力者の思惑などがその理由であり、嘘や誇張が随所に盛り込まれています。

それ故、無垢な子供たちを騙していることも確かです。

しかし、綺麗な嘘だからこそ感応し、夢を膨らませることがあります。

そのため、構うことなくじゃんじゃん嘘だらけの偉人伝を子供たちに読ませましょう。

そして、成長したら少しずつ本当の歴史を教えてあげ、なぜ改竄がなされたのか、その裏を考察できる大人になれるよう促していくべきです。

ただ、偉業のロマンにときめいて成長した場合は、真実を知って激しく落胆するかもしれません。

シュリーマンの嘘の自叙伝に、身も蓋もないこの世の現実に嘆いてしまうかもしれません。

しかし、彼が発掘に情熱を燃やした事実は変わりません。

その功名心から来た嘘を、人間臭さだと教えてあげればよいのです。

他の偉人にしても、時代の要請の中で、その姿形が作られてきたことを教えてあげればよいのです。

そして大人たちは、暴かれた偉人の本当の姿に接し、理想が崩れたと嘆くのではなく、自分が法隆寺になるぐらいの気概を持つべきでしょう。








参考文献

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