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2018/02/25

己の限界を突破するための奇抜な自己啓発方法を記します








fujiwaraさんによる写真ACからの写真 




現在の自分自身や境遇に不満を持っている方は多いことでしょう。

そんな現状を変えるため、自己啓発や自分磨きに励んでいる方もいるでしょう。

ただ、ちょっとやそっとで己は変わりません。






巷に蔓延る(はびこる)、何処の馬の骨とも分からない講師が説く、「自分を劇的に変える方法」などといったキナ臭い講座を受けても、気付きはあっても己の本質を変化させることは難しいでしょう。

一般によく言われる、大きなリスクを取った者だけが大きなリターンを得られる、ピンチはチャンスだ、のように、最高の変化は、最悪の場面を乗り越えることによって得られます。

よって本記事の主眼は、最悪の場面に身を乗り入れ、それを乗り越える方法を説きます。

私も胡散臭い講師と同じで、何処の馬の骨とも分からない男ですが、興味のある方はお付き合いください。

では、最悪の状況とはどんなもので、それをどのように乗り越えるのかを説明する前に、一つ注意があります。

それは、これから記す内容が男性向けだということです。

さらには、女性が読めば不快にすら感じる恐れもありますのでお気をつけください

では続けます。

私の知人に、Aという30代前半の男がいます。

彼はよく風俗に行きます。

性欲とは生理的なもので、恋人や妻がいる場合の倫理や道徳は別にして否定するものではありませんが、彼は一風変わっています。

それは、相手の女性にお婆さんを選ぶのです。

言うまでもなく、性欲は自分の子孫を遺すための欲望ですから、男性は卵子が新鮮な若い女性を好むのが当然であり、ましてや閉経しているお婆さんを相手に選ぶことは、生物学的に真っ向から反しています。

もちろん彼もそれは承知の上で、決してお婆さんに性的魅力を感じている訳ではありません。

しかし、あえてそのような数少ない店に出向き、選んでいるのです。

その理由は、


どうなっちゃうか、わくわくするんですよね


ということです。

彼のこの行為を、マゾヒストであるがゆえと見なすこともできますが、正常な人間であるならば、己の欲望、己の遺伝子と戦っていると言えます。

我々は、日々欲望にがんじがらめにされて生きています。

仏教では、欲望や怒りを苦の原因と見なし、


(とん)・(じん)・(ち)


の3種類を三毒煩悩と定めました。

そして、原始仏教では、これらを断ち切り、最終的に解放された状態である解脱を目指し、修行が行なわれていました。

例えば、街行く若い女性を見たとき、己の性欲を鎮めるため、その顔をお婆さんに見立てるような苦行をしていました。

これが大乗仏教になると様子が変わります。

人間の欲とは、元を質せば個体が生き抜くための生命力であり、全てを否定するのは間違いだとする考えが出てきます。

特に普段仕事を行い、日常生活を営んでいる在家信者にとって、欲をすべて否定することは不可能でした。

そのような流れの中で編纂された経典の「維摩経」では、欲望を活かしながら涅槃(悟りの境地)に至る方向性を示しています。

そして、仏教の最終段階に登場した密教は、欲望を肯定するにまで至ります。

中期密教の重要な経典である「般若理趣経」では、性欲を含めた人間の一切の欲望が是認されています。

ただ、単なる自己本意の性欲ではなく、生命力としての性欲を認めているのであり、それを昇華させて大欲に育てていくことが説かれています。

密教はここで一先ず完成し、これらを唐から日本に伝え、体系化したのが弘法大師になります。

しかし、本家インドでは、後期密教へと更なる変化を見せます。

そして「秘密集会タントラ」の経典では、なんと実際に若い女性パートナーと性行為をする、性ヨーガによって悟りが得られると飛躍します。

他にも特筆すべき修行内容として、汚い話になりますが、「五甘露」と呼ばれる糞、尿、精液、血や人肉を食すことまでが記載されています。

これらの行為は一見馬鹿げていますが、断食などの苦行と同じで、禁忌である最悪を乗り越えることで悟りを得ることだとも言えます。


ここで私の知人Aの話に戻します。


普通に考えれば、性のパートナーにお金を払ってまでお婆さんを選ぶことは有り得えませんが、この最悪な場面に飛び込み、己の遺伝子と戦い、乗り越えることで、最高の自己変革を起こすのです。

ただ、嫌々体験を終えただけでは、劇的な変化など望むべくもありません。

お年を召しながらも身を売らなくてはならないお婆さんの境遇を思いやり、それでもなお逞しく生きていこうとするお婆さんを心の底から慈しみ、蔑みの目で見られているかもしれないお婆さんの全存在を肯定するところまで気持ちを昇華させるのです。

その知人は、アジアの貧民窟でもお婆さんと寝る、剛の者です。

世界の貧困国では、人身売買で売られ、奴隷のような境遇で強制的に働かされている子どもたちがおり、彼女たちは救ってあげるべき存在ですが、それとは別に、自らの意思で身体を売る女性が大勢おり、お歳を召してなお、必死にまた逞しく、貧しい境遇の中を生き抜いている方もいます。

もちろん彼女たちは、好き好んで身体を売る仕事をしているわけではないかもしれませんが、他に仕事がない中でそれが生きる術だとしたら、一緒に時を過ごしてあげることが、彼女たちを救うことになるでしょう。

そんな必死に生きているお婆さんとまぐわい、己の遺伝子と戦い、その全存在を肯定することで限界を突破するのです。

私は、幼い自分の身に降りかかった絶望を経て、その果てで掴みとった歓喜から学んだことは、最悪の中にこそ最高が宿り、さらには最悪即最高であるという気付きでした。


煩悩即菩提(ぼんのうそくぼだい)


仏教では、煩悩がそのまま悟りに繋がると説かれ、聖俗や生死の対立はなく、すべては真如という永遠不変である万物の真理の姿が規定されます。

もしあなたが自己を変革させたいのであれば、私の知人のように、遺伝子と格闘する場面に飛び込む経験をしてみるのもいいかもしれません。

生兵法は大怪我の基ですが、もし私のきな臭い話に何か得ることがあったならば、それに勝る喜びはありません。

そしてまた、私のこの話に不快な思いを抱いた方がいらしたら、精神的・経済的自立という観点から、また生物学的な観点から記事を考察してくださると幸いです。







参考文献
秘密集会タントラ和訳 松長有慶 法蔵館



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