2017/07/24

純文学小説「空蟬」の作者による導入解説








本記事は、純文学小説「空蟬」の作者である私が、小説を読むにあたり、事前に知っていればより深く理解できる情報を記したものになります。

ただし、以下の事柄を一切知らなくても、分かりやすく楽しめる現代小説となっています。

まず、題名の


空蟬(うつせみ)


とは、「蝉の抜け殻」を意味しています。

その他にも「虚脱状態」や「儚(はかな)いもの」を表し、元々は「この世に生きている人という意味だとされています。


次に、序文の弘法大師の詩を説明します。



一心の趣を談ぜんと欲すれば 三曜天中に朗らかなり

いっしんのおもむきをだんぜんとほっすれば さんようてんちゅうにあきらかなり



いま私の心境を語ろうとするならば、日と月と星が天空にくっきり輝いているようなものである



これは、弘法大師が詠んだ中寿感興(ちゅうじゅかんきょう)と呼ばれる詩の一節であり、40歳になった大師が、晩秋の大自然を前に自身の心境を表したものになります。

この詩の全文は、弘法大師が著した漢詩の文集「性霊集(しょうりょうしゅう)」に収められており、以下に「白文・書き下し文・現代文」を示します。



白文


黄葉索山野


蒼蒼豈始終

嗟余五八歳

長夜念圓融

浮雲何處出

本是浄虚空

欲談一心趣

三曜朗天中 




書き下し文


こうよう さんやにつくるも
黄葉 山野に索くるも

そうそう あに しじゅうあらんや
蒼蒼 豈 始終あらんや

ああ  われ  ごはちのとし
嗟   余    五八の歳

じょうやに えんゆうをおもう
長夜に 円融を 念う

ふうん いづ れのところよりかいづ
浮雲 何れの処よりか出づ

もと  これ   じょうこくう
本 是れ 浄虚空

いっしんのおもむきを    だんぜんとほっすれば
一心の趣を 談ぜんと欲すれば

さんよう   てんちゅうにあきらかなり
三曜 天中に朗らかなり




現代語訳


黄ばめる葉が山野で散り果てても


青い天空には始まりもなければ終わりもない

ああ 私は四十の歳

長き夜に円満な世界を表す仏を思う

浮き雲はどこから現われたのか

本来それは清らかな虚空なのだ

わが心の世界を語ろうとするならば

それは日と月と星が中天に明るく輝いているようなものである




という文になります。

本書を読み終えた後、冒頭のこの詩に戻ってくると、最後の場面が理解できるはずです。

そして空海の開いた真言密教とは、欲を捨て去る原始仏教とはまったく異なり、怒りだけでなく性欲さえも、高次なものに昇華させるならば是とし、またすべての物事には実体がないとする仏教の基本原理である無我や、大乗仏教の根本原理であり、ややもすると世界をペシミスティックに捉えてしまう空の思想を超越し、ありのままの人間や現実世界を強烈に肯定する宗教です。

そして、その教義である即身成仏とは、来世で悟りを得ようとするのではなく、現世において、この生身の人間のまま成仏できることを説き、現在の自分と、大宇宙の真理である仏と一体になることです。

空海はこの即身成仏について、その理論的根拠を「即身成仏義」という著書で明らかにしています。

このように本小説は、空海や仏教と関連した意図を持たせていますが、本文にそのようなことはまったく出てこず、誰にとっても分かりやすく、また面白い現代小説となっていると自負しております。







参考文献
弘法大師空海全集〈第6巻〉詩文篇(2)    筑摩書房 空海全集編輯委員会 




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