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2017/07/02

失敗とされるマシュマロ・テストから考える我慢と従順の違い







透明な瓶に入った幾つもの白とピンクのマシュマロ

pixel2013によるPixabayからの画像 



マシュマロ・テストとは、1970年頃に、スタンフォード大学の心理学者・ウォルター・ミシェルが、4歳の子供たちの自制心を調べるために行ったテストのことです。

実験方法は単純なもので、机と椅子のみが設置された部屋に子どもは通されます。





その机の上には、お菓子のマショマロが1つ載せられたお皿があり、子供は椅子に座った後、次のように大人から言われて一人ぼっちにされます。


「ここにあるマショマロをあなたにあげる。ただ、これから私は外に出かけ、もし戻ってくるまでの15分間に食べるのを我慢できたら、もう1つマショマロをあげる」


この実験の真意は、将来の大きな報酬に対し、現在の欲望を抑えることができるのか、という自制心(self control)を測るものです。

実験の結果は、



すぐに食べてしまった子供は僅か(わずか)であった。

3分の1の子供が、15分間我慢して2つ目のマショマロを手に入れた。

残りの多くの子供が、目を逸らしたりして我慢するも、誘惑に勝てずに結局食べてしまった。



そして、この研究には追跡調査があり、20年近く経たあとに判明したことは、我慢と成功の相関関係でした。

つまり、我慢して2つのマショマロを手にすることができた子供は、大人に成長してからの社会的な成功度合いが、我慢できなかった子供よりも高かったのでした。

ただし、この調査における成功とは、両親から優秀だと思われていたとか、SAT(大学進学適性試験)で好成績を収めていたとかです。


それが果たして成功に値することなのか疑問が沸き起こりますが、ここはひとまず成功の定義を脇に置き、ここで私が主張したいことは、目の前に出されたマショマロを、15分も食べずに我慢するような子供は、本当の成功を手にすることはできないということです。


では、どのような子供が真の成功を手に入れることができるのでしょうか?


それは、すぐに1つ目のマショマロを食べた子供の中にいます。

実験の時にはいなかったのか、無視されたのか分かりませんが、本当の成功を掴むことができるのは、まず目の前のマショマロを平らげ、さらには、2つ目のマショマロをどうしたら手に入れることができるかを考える子供なのです。


つまり、与えられた前提条件を疑うことのできる思考を備えている子供なのです。


なぜそうなのかを今から説明します。


我慢という性質は非常に大切です。

一般的に、成功者と言われる人たちは、他人からは我慢しているように見えても、当人は、好きなことであったり、確固たる意志を持っているため、我慢だと感じていないケースが多いとはいえ、私も当ブログで述べているように、食欲などを我慢することは遺伝子に逆らうことであり、人間を人間たらしめるために不可欠な鍛練だと考えています。

しかし、成功に至る過程においては、我慢をすることよりも、前提条件を疑うことの方がよほど大切なのです。

例えば、仕事でも自分のことでも、何らかの問題に突き当たったとき、我々は様々に考えを巡らせて対処をします。

簡単な問題なら、手を尽くした中で一応の解決が図られますが、難しい問題となるとそうはいきません。

そのときに必要なことは、当ブログでも延べているように、多角的な視点から深く考え続けることです。


その多角的な視点から深く考える方法として、前提条件を疑うことが大切になってくるのです。



我々が直面する重要な問題は、それを作り出したときと同じレベルの考えでは解決できない。

The significant problems we face cannot be solved at the same level of thinking we were at when we created them.


この言葉は、知の巨人アルベルト・アインシュタインが遺したものですが、これは、作った問題そのものを疑うこと、つまり、その問題を成り立たせている諸条件を疑うことが必要であることを述べているのです。

そして、我慢ができることとは、問題を最初に作り出した条件の中で、もがき続けてしまうことを意味します。

日本における学歴主義の功罪の1つに、嫌なことを我慢する能力が身に付いてしまうことが挙げられます。


学歴の勝者というのは、多くの場合、親や教師に言われるがまま
自分の気持ちを押し殺し、無味乾燥の暗記をこなしてきているため、良くも悪くも、面白くないことを我慢して続ける能力が身についています。

東大生の多くは、親から勉強しろと言われたことがないそうですが、そこまで無意識に刷り込まれている、とも言えるでしょう。

私の知人に、御三家からドロップアウトしてFラン大学に入った方がいますが、親からの期待が苦しかったと言っていたように、その期待が直接的か間接的かを問わず、教育の目的とは、人格ある一人の自立した人間の育成とするならば、知人の反応は間違いではありません。

一方の学歴勝者は、我慢をしてきた、もしくは我慢をしてきたことすら気付かず、勉強を継続してきたと言えるでしょう。

もちろん中には、是が非でもあの大学のあの教授のゼミに入りたいとか、あの大学のあの学部で研究をしたいといった明確な目的が先にあり、今は面白くもない受験勉強を我慢して行う生徒もいるでしょう。

しかし、ほとんどの高校生が受験勉強や学校の教科書を面白いと思えていない事実から、参考書を解く意義を疑わずに勉強してきた学歴の勝者とは、我慢に対する耐性が知らずに身に付いていると思われます。

そのため、我慢をすることが成功の条件と思われている節(ふし)がありますが、彼らが大きな問題に直面したとき、問題を疑わずにそのまま受け入れてしまう態度をとり、その中で考え続けてしまうため、解決に至らないことが出てくるのです。

さらに、自分の気持ちを押し殺し、我慢してきた弊害として、自分の本当の気持ちが分からない人間となっているため、自分にとっての人生の目的を見つけられず、真の成功者とは成り得ないのです。

ここで、真っ先に1つ目のマシュマロを食べる子どもは、自分の欲望に忠実であり、自分の気持ちに正直であることの証です。


人生には、ここぞというときが何度か訪れます。

そのときに、本当に必要なことであれば、結果の如何を問わず、どんなことがあっても手に入れようとする強固な意志が必要です。

この強固な意志は、自分の気持ちに正直に生きてきた子供こそが、育んでいけるものなのです。


ただし、真っ先にマショマロを食べた子供とは、多くが欲望を押さえられなかったことだと仮定すると、そのような子供が大人になるまでに学習や修正が出来なければ、人生のどこかで感情のコントロールが出来ず、短絡的に快楽へと突き動かされてしまうこともまた事実です。

ここでまとめますと、


我慢ができることは大事な性質であり、いっときの欲望に負けて人生を棒に振らないためにも、周囲と協調して事を成し遂げるためにも必要であり、何よりも日本人の美徳でもある。


ただ嫌なことまで我慢する習性が身に付くと、重大な問題に直面した時、その問題自体に拘泥(こうでい)してしまう。さらには自分の本当の気持ちが分からなくなり、自分の人生の目的を見つけられず、自分ではなく他人のための人生を生きることになる。


1つ目のマショマロをすぐに食べた子供は、自分の気持ちに正直であり、将来強固な意志を持つことができる可能性がある。



1つ目のマショマロを食べたあと、2つ目をどうしたら手に入れられるかを考える子供は、与えられた課題の前提条件を疑うことのできる思考を備えているため、将来大きな問題に直面したとき、問題に固執せず、突破口を開くことができる可能性がある。


2つ目を貰う口実として、ネズミが食べてしまったとか、マジックで消えてしまったとか言う子供がいるかもしれませんが、そんな発想ができることは、決して牽強付会(けんきょうふかい)ではなく、子供らしい自由で豊かなと捉えることができ、このような子供こそが、将来成長したときに、真の精神的な成功を収めることができるのではないでしょうか。

ただし、我慢してきた学歴勝者の中にも、もしかしたら、子供の教育のためだと勘違いしている親に対し、その親の限界や不条理ささえ包み込み、その期待を一身に引き受けるだけの度量を持つ子供がいるのかもしれません。

そういう子供であれば、弘法大師のように、一族の期待を一身に背負い、将来官界で活躍するために蛍の光や窓の雪で明かりを取り、眠気を防止するために錐(きり)を膝に立てて勉強したという中国の故事を思いながら机に向かった結果の大学でさえ、辞める決断ができるのかもしれません。

つまり、過去の自分を支えてきた一切の前提条件を、捨て去ることができるような子供が、もしかしたらいるのかもしれません。

また同じように、塾での勉強や受験の意義を疑わずに高学歴を勝ち取った秀才も、その大学のブランドを捨て去った先にこそ、本当の成功が見えてくるのではないでしょうか。







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