2017/06/04

頭の良い子供の育て方 実践編






天才 頭の良い子供


Gerd AltmannによるPixabayからの画像 




前回当ブログで、脳細胞に複雑な回路を作ることで、誰でも頭が良くなることができ、そのためには、一つの問題を様々な角度から考え続けることが重要だと私は述べました。頭の良い子供の育て方 理論編

では、どうしたら深く考る問題を見つけることができるか考えてみます。





その前に、ものを考える習慣がない人はどうするべきか?

まずはテレビを遠ざけ、視聴時間を減らすことから始めましょう。

テレビの悪影響は昔から言われており、また娯楽の多様化により凋落の一途を辿っていますが、まだ観ている人は大勢います。

テレビがなぜ良くないかは、ボタンを押すぐらいしか能動的な行為がなく、一切が受け身で、とめどなく情報が送られてくるので脳は思考を止めます。

そして、テレビを見続けて脳がその状態に馴らされていくと、自分でものを考える習慣がなくなり、
やがてはテレビから流れる情報を盲信するようになり、様々なものに洗脳されやすい人間となってしまうのです。

日本の中間層を破壊し、外資への利益誘導を露骨に行なった小泉純一郎は、テレビを通して小泉劇場なる演出を見せつけましたが、この時のターゲットは、1日中テレビをつけ、情報源の大半をテレビに依存し、テレビの言うことを鵜呑みにするB層と呼ばれる集団であったことはあまりにも有名です。

アインシュタインの言葉に、次のようなものがあります。


自分自身の目で見て、自分自身の心で感じている人は、ほとんどいない。

Few are those who see with their own eyes and feel with their own hearts.



このように、我々はテレビだけでなく、親を始めとして多くの影響、つまり洗脳を受けて育っています。

自分の考えや選択は、突き詰めて考えると独自性があるのか疑わしくなってきます。


模倣が言語を習得する手段であることから分かるように、親や他人の真似、先人の言動をそのまま受け入れることなどは、我々が生きていく術です。

しかし、自分自身を確立するためには、自分の頭で考えることが必要であり、他人の考えはもとより、自分の考えさえも疑ってかからなければならないのです。

その思考の鍛練こそが、脳細胞に複雑な回路をもたらし、問題解決や創造のできる頭脳に繋がっていくのです。

そのためには、何でもいいから自分で考える癖をつけなければなりません。

例えば、今日の昼食になぜ自分はカツ丼を選んだのか? 
とか、どんなにくだらないことでもいいので、考える習慣を続けてみることです。

脳は、やり始めたことを楽しいと感じる習性があるので、色々と考える習慣をつけ、そこから科学者のように、物事を考えることが楽しいと感じるようになれば、賢さへの道筋が見えてきます。

我々の祖先は、狩猟採集生活をしていたとき、動物を狩る道具をああでもないこうでもないと考えを巡らせ、形や材質を改良させてきました。

そして、今日に至るまで様々な物事を発明してきました。

このように、多種多様な物事を考えては想像し、創造することは、人類の大きな特長であり、我々はその子孫なのです。

ですから、誰にでも物事を深く考える素地はあるのです。


では、物事を考える準備ができたところで、頭を良くするために必要な、深く考えられる問題の見つけ方を提示します。


まず1つ目は、ずばりそのもので、自分の興味を引く、簡単に解けない問題を見つけるです。



フィールズ賞を受賞した数学者の広中平祐氏は、高校時代に、次の問題を二週間ものあいだ、食事やトイレの時も考え続けたと言います。


三角形の二つの底角のそれぞれの二等分線を引き、それぞれの線が対辺に交わる点までの長さが等しい時、この三角形は二等辺三角形であることを証明せよ。


引用文献 生きること学ぶこと (集英社文庫)


数学に興味のない人にとって何が面白いのかさっぱり分かりませんが、公式を使わずに解く証明は、頭をこねくり回すぐらい使います。


その他に興味深い問いとして、


「人間にはなぜ男と女がいるのか?」


があります。


異性への関心はほとんどの人が抱き、恋愛、セックス、結婚は人生の一大テーマであり、雄と雌が産まれた有性生殖の誕生は、誰にとっても根源的な問いになります。

この問いへの仮説はいくつかありますが、ネットや本で調べずに、自分の頭を使って何ヵ月も考えてみるとよいでしょう。

他にも、自分の興味がある分野で、簡単に解けない問題を見つけ、何ヵ月も何年も考えてみるとよいでしょう。


2つ目は、自分を過酷な環境に追い込むです。


先ほど述べたように、我々の祖先は、動物を狩る道具や方法を様々に発達させてきました。

それは、
鋭い牙や爪もなく、力の弱い人間が、アフリカの大地で生き抜くために必要だったからです。

食料にありつけなければ死を待つよりほかはなく、そのために頭を使って必死に考えてきたのです。

必要は発明の母、との言葉があるように、何かを深く考えるきっかけは必要に迫られたときです。


ですから、人生の岐路に差し掛かったとき、困難な道を選ぶことで、掘り下げた深い思考を要求されるでしょう。

また、寄らば大樹の陰ではなく、鶏口となるも牛後となるなかれを実践する、つまり組織から独立して自分が長となることも、必死に考えることが要求されるでしょう。

たとえ組織に属していても、福澤諭吉の説いた、独立自尊の精神を持つことで、確固とした己を打ち立てるための深い思考が要求されるでしょう。


3つ目は、科学者のように、自然界を支配する真理の発見に生き甲斐を感じる人間になるです。


基本的に名をなした科学者たちは好奇心が旺盛で、身の回りの出来事に疑問を持ち、その原理である真理への飽くなき探求が根底にあるため、考えることが大好きなのです。

真実を知りたい、という思いは誰にでもあります。

誰しも
自分の身の回りで何か事件が起きたとき、その真相を知りたい、解決したいと思うはずで、未解決のままだと気分が晴れません。

世間で重大な事件が起きたとき、犯人の動機に焦点が集まることからも分かります。

この、誰しもが持つ思いを発展させたものが、複雑な森羅万象を統制する、合理的で調和のとれた法則を見つけることです。

その真理であるシンプルな数式や物理法則は美しくもあり、世界を貫く法則の発見は、美の発見でもあります。

美を感じる基準は人により様々で、普遍的な尺度はないと言われますが、自然界を支配する法則が絶対的な美だと私が考える理由は、我々人間が、乱雑さと言い換えることのできるエントロピー増大の原理(
熱力学第二法則)に逆らって生きているからです。

また、自然界の法則とは宇宙の秩序であり、人間の元を辿れば、宇宙を構成する物質に行き着くからです。

人間は、
チンパンジーと共通の祖先から分岐して進化を遂げましたが、その元は、地球上に誕生した最初の生命体であり、その生命体は物質から誕生し、その物質を産み出した地球が宇宙から誕生したという事実は、普段ほとんど意識しませんが近代に生きる我々の常識です。

生命の誕生は、隕石等が運んできた微生物からだとするパンスペルミア仮説や、人類の誕生は、宇宙人・アヌンナキが関与しているといった説もありますが、微生物も宇宙人も誰かが産み出さなければ存在せず、それが人格神ではないとしたら、やはり宇宙の物質から人間が誕生したという事実は変わりません。

このことにより、人間と大宇宙が同一であることは理屈ではなんとなく分かりますが、実感としては分かりません。

この宇宙と自分自身が一体であるという感覚は、体験した人でなければ分からず、言葉では説明できないのでしょう。

仏教の最終段階に登場した密教は、宇宙の真理を大日如来という仏に据え、自己の中に大宇宙を見出す教えであり、瑜伽(ヨーガ)の行により、その体感を目指します。

弘法大師空海は、宇宙と自己が一体になることを即身成仏(そくしんじょうぶつ)と呼び、誰しもが生きたまま仏になれると説きました。

思索の巨人アインシュタインも、人格神を否定し、宇宙の法則を神と捉え、その神は万物に宿り、自分自身にも存在することを、宗教体験から確信しています。


一方のニュートンは、一神教のキリスト教を信じ、その超越神が創造した世界だからこそ厳密な法則があると確信していました。

汎神論にしろ一神論にしろ、宇宙の真理である絶対的な法則は、神が手を触れた絶対的な美であり、そしてその宇宙の秩序である美への探求は、物事の本質への探究でもあり、己の根源への探究でもあり、誰しもが潜在的に抱いているものだと思います。

この手の話に眉をひそめる方はひとまず置いておき、自然界を支配する法則への探求は、自分の身の回りで起きた具体的な出来事に対し、疑問を持って接し、帰納的に、抽象度を上げて捉える習慣をつくることで、興味が向かうかもしれません。



4つ目は、野望を抱くです。


大それた野望を抱き、その野望を実現させる必然性を作るのです。

大好きなアイドルと結婚するとか、会社を興して上場させるとか、国会議員に当選して大臣になる、とか何でもいいと思います。

そこへの到達が遠ければ遠いほど、やるべきことが沢山あり、冷徹に自分や環境を分析しなければなりませんから、深い思考が必要となるでしょう。


5つ目は、公案を考えてみるです。


公案とは、禅宗における修行僧が、悟りを開くために与えられる問題のことで、難問や奇問が多いことで知られています。

例えば、江戸時代の高僧である白隠禅師が考えた、


隻手の声(せきしゅのこえ)


という公案は、次のようなものです。


両手を打つと音がする。では、片手ではどんな音がするか。


このような、理性では答えが見つかるはずもない問題を、何年にも渡って真剣に考えてきたため、高僧と呼ばれる人たちは世の中の真理に到達したのでしょう。

この問いなら、深く考えられること請け合いです。


6つ目は、哲学の問いを考えるです。


やはり、深く考えるといえば哲学は外せません。

しかし、哲学という学問は、その内包する世界が広く、形而上的な問題も含め、実に様々なものがあります。

ではその中で、どの問い選び、深く考察するべきでしょうか?


それは、


人間とは何か?


を問うことです。


ヒトは、繁殖を伴わないセックスをする不思議な生き物です。

さらにヒトの雄は、孔雀の雄が優美な羽根を雌に見せつけるように、富や地位、名声を追い求めますが、その理由で女性から選ばれることを好しとしません。

それは、人間には複雑な心があるからです。

そして、人間はその心を用いて、自分自身を変化させることができます。

人間のみが、遺伝子の変異による進化を待たずして、自分自身を複雑に進化させることができるのです。

まだまだ尽きないこの問いに対する解答を、自分自身の頭で多角的に考えることは、つまるところ、


自分の人生を如何に生きていくべきか?


を考えることに他なりません。

誰しもが抗うことのできない一度きりの限られた人生を、どのように歩むべきかという答えを自らの手で掴むことこそ、最も大事なことであり、また深い思考が要求されるでしょう。

これまで述べてきた、私の考える「頭の良い子供の育て方」をまとめますと、最終的には、簡単に解けない問題を子供が考え続けることに帰します。

これは、つまるところ子供の自発性にかかってくるので、親が出来ることはあまりないと思われますが、好奇心を潰さない、好奇心を育んであげることが大事でしょう。












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