2017/03/28

赤ちゃんの名付けで気になる姓名判断は統計学ではなく単なる占いです






姓名判断 赤ちゃんの名付け 占い 当たらない


ななほしてんとうさんによる写真ACからの写真 


親が子に与える最初のプレゼントは、名前だと言われます。

先生が読めない名前やキラキラネームが増えたと言われて久しいですが、親にとって名付けは一大事であり、どんな名前にするにせよ、決めるときには必ず悩んでいるはずです。




過去に、子供の名前を悪魔と名付け、役所で受理されなかった悪魔ちゃん事件がありましたが、この親も色々と考えた末のことだと思いますが、子供のためではなく自分のために付けたのでしょう。

子供は一人の独立した人間で、また親とは別の人格であり、別の人生を歩んでいくことを忘れてはなりません。

私が子供の命名をするにあたり頭を悩ませたのは、姓名判断との兼ね合いでした。

日本人なら多くの人が、星占いや
姓名判断の結果に一喜一憂したことがあるはずであり、そうであるならば、私も子供の名付けに当って気にしないわけにはいかず、様々なWebサイトを調べました。

それこそ、完全無料を宣伝するところから有名な山本式や安斎流といったところまで、苗字と組み合わせて多くの名前と、にらめっこしました。

しかし、ここで困難に突き当たります。

それは、姓名判断には幾つもの流派があり、新字体と旧字体の違いがあったり、サンズイなど画数の数え方の違いがあったり、天地同格など特殊なルールがあったり、陰陽や五行三才が追加されたりと、統一的な法則がある程度はあるものの、どんな流派でも良い結果を満たす名前が、ほとんどないことでした。



では姓名判断とはどのように始まったのでしょうか?


日本における姓名判断の第一人者は、明治の運命学者である熊崎健翁ですが、熊崎は、幕末の人相学者・林文嶺とその弟子の言語学者・永杜鷹堂の理論に、自身が学んできた易を重ね合わせ、姓名判断を作り上げたとされています。

そして、現在一般に流布している姓名判断はこの熊崎式姓名学に端を発しています。


では易とは何でしょうか?


易とは、熊崎健翁の言葉を借りると、約六千年の昔、大思想家で、大政治家で、大天文学者であった伝説上の皇帝・伏羲(ふくぎ)が、天地自然の法則を人事百般(人間社会のあらゆる方面)に準用するために生み出したとのことです。

その内容はまず、天地万物は陰と陽によって成り、さらには


天・沢・火・雷・風・水・山・地


の八原子の集合によるものと考え、これらを八卦(ハッケ)という符号のような画に表します。




易の基本図像 八卦(ハッケ)


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そして、甲骨占いや筮竹占い(卜筮)の結果、これらの形が現れるというもので、周の時代に、文王やその子である周公が発展させ、儒教の祖・孔子が、書物の「易経」として完成させたと伝わっています。

後に六十四卦にまで形が増え、さらには、自然現象を木・火・土・金・水の五要素に分類する五行説を取り入れて発展しました。

これらの大陸の文化は、日本へ5、6世紀ぐらいに伝わったとされ、701年の大宝律令制定により、易を扱う陰陽博士や暦を作る暦博士を司る陰陽寮が設けられ、また隋時代に記された書物、


五行大義(ごぎょうたいぎ)」


も日本に伝わりました。

以上が、姓名判断の元となる易が誕生した概要ですが、これではよく分かりません。

では、姓名判断に使用する、漢字の起源を考察してみたいと思います。

漢字の発生は詳しく判明していませんが、中国の古代王朝であるの後期にあたる時代の遺跡から、占いのために亀の甲羅や獣の肩甲骨に書かれた甲骨文字が大量に発見されています。




亀甲獣骨文字

撮影者 BabelStone      Wikimedia Commons  CC BY-SA 3.0


現存する最古の漢文は、殷王朝の前期にあたる


二里岡文化(ニリコウブンカ)


のものになり、それよりも前の紀元前二千年頃の


二里頭文化(ニリトウブンカ)


の陶器には、個々の字が単独で見られるだけですが、漢字と共通する形が出現しており、この頃に漢字が発生したと考えられ、研究が進められています。



二里頭遺跡三期から出土した陶器に刻まれた文字
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さらに、漢字の元となる絵文字は、紀元前五千年~紀元前二千五百年頃の新石器時代にあたる仰韶文化(ギョウショウブンカ)に、彩色をした陶器に彫られたもの(陶文)が見つかっています。


1 この絵文字が刻まれた陶器は、神聖な儀式で用いられたものだと推測されています。

2 甲骨文字には、神に対する祭礼に使用した、生け贄、音楽、酒などを元にした象形文字が多いことも分かっています。


漢文学者で東洋学者の白川静氏は、漢字の発生は呪術であり、神と交信する手段だとしています。

白川氏は、個々の文字の起源である字源を無理矢理呪術に絡めようとする手法に一定の批判がありますが、1と2を考慮し、エジプトの古代文字であるヒエログリフもピラミッドの中にしかないことを考えると、漢字の起源は、共同体に属する人と人が、意思を表明したり伝達するためではなく、神に問う、呪術といった占いのために造られたと考えてよさそうです。

つまり漢字とは、
共同体の軍事行動や農作物の成否を占う、甲骨占いと密接に関連していたということです。

そして、時代を経るにつれて、甲骨占いが廃れて易占いが主流を占めるようになり、そこから様々な要素を取り入れながら複雑に発展していった易占いは、やがては人の運命や吉凶を占うようになっていったのでしょう。

この人の運勢を占うようになった易占いの理論が、伝来した日本においては、中国とは違って漢字の画数と結び付きましたが、この変化の経緯を想像してみると、易者とは、儒教の基本書物で元は占いのテキストであった「易経」をベースに、


細長い竹の棒 筮竹(ゼイチク) を使って占い

長方形の木の棒 算木(サンギ)・中国名算筹 を使ってその結果を示し

符号である 卦(ケ) の形で吉凶を判断するので、





易の基本図像 八卦(ハッケ)


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過去の日本のどこかで、木の棒である算木を使用して名前を形作るなどして遊び、卦には数字の意味もあるので、誰かが姓名の画数と組み合わせ、本場中国の姓名判断とは違う日本式の姓名判断を作り上げ、それが、熊崎健翁によって大成されたのではないかと思います。

いずれにせよ、神や占いが生活と直結し、共同体の運命を左右した時代は遥か過去のものです。


目に見えないものをすべて否定する態度は良くありませんが、科学的知見に裏打ちされた現代に生きる我々は、明朗な精神を持って呪術に起源を持つ姓名判断を否定すべきでしょう。

そもそも、漢字を使わない外国人はどうなるのでしょうか?

アルファベットなどそのまま画数を適用するにしても、ブロック体で占うのか、今でも使用されている筆記体で占うのか、また大文字や小文字の区別はどうなるのでしょうか? 


それらの根拠や判断は占い師によって異なるでしょう。でなければ、ひらがなやカタカナにして占うというのでしょうか?

元々、姓名判断に科学的や合理的な根拠はなく、単なる占いに過ぎません。

麻原彰晃の名前は、様々な流派の姓名判断で考えうる最高のものらしいですが、実際逮捕され死刑の宣告を受けました。


ここに姓名判断の効力はありません。

しかし、麻原は愛人を100人も囲い、教祖としてやりたい放題人生を楽しんだとか、姓名判断の効用をいくらでも言うことができます。

それは物事には二面性があり、決断力がないという短所が、慎重であるという長所に置き換えられることと同じです。


ある人は、本名の松本智津夫が悪いから、麻原はあんな運命を辿ったのだと言うかもしれませんし、また姓名判断の結果が悪いにもかかわらず、他人から見て羨むような人生を送っている人がいたら、内心は淋しいのだと言うこともできます。

つまり、その占いの結果について、当たったといえば当たったのであり、当たってないといえば当たってないのであり、どちらにでも判断できるのです。

姓名判断は、統計学に発展したとの意見もありますが、科学的な根拠のない統計は、あくまでも結果に過ぎません。

また絶対数がわずかである、画数の少ない者や多い者の統計は意味を成しません。

それは、コインを5回投げて、たまたま5回とも表が出たとしても、次に表が出る確率は2分の1だからです。

にも関わらず、それらの画数に吉凶が存在するのは、単に法則を当てはめているだけだからです。

そして前述したように、内面を吉凶で判断することは不可能なのです。

なぜなら、他人から見て辛い出来事でも、本人は自分を成長させてくれる試練だと考えている場合があり、高い地位や金銭的な成功を収めている人でも、内心は不幸を感じている人など幾らでもいるからです。

つまり、内面を吉凶として正確に表すことはできず、そもそもその法則に根拠はなく、占う人によっても数え方が異なるのであれば、それは単なる占いでしかなく、いかようにも解釈できるということです。

ああ言えば上祐ではないですが、まさに物事は、コインや陰陽道のように、裏と表、陰と陽が表裏一体に存在しており、また聖と俗、生と死、身と心などの対立概念は、仏教用語で言う一如(一体)なのです。

ですから、名前を変える気がない人は、どうとでも捉えられる姓名判断の結果を無視しましょう。

そもそも、こんなもので人間の将来や未来が決まるわけがないのです。

当然ですが、相性が合う合わない、恋愛や結婚の出来不出来、性格が当たる当たらないなども、画数自体に左右されることもないのです。

しかし、子供の名前をつけるのに、姓名判断を無視して良いかと言うと、そうではありません。

なぜなら、人間には潜在意識があるからです。


姓名判断の結果が悪いと知れば、ほとんどの人が嫌な気持ちになり、完全に無視できる神経の図太い人は、そう多くはありません。

そして、気にしたが最後、その人の潜在意識には、自分の名は不吉なことを呼び起こすのだと刻まれてしまいます。


たとえ表面上気にしなくても、潜在意識には確実にインプットされ、時にその人を支配します。

顕在意識の何倍もあるとされる潜在意識とは、それほど恐ろしいものです。


有名な話ですが、人が何かの意思決定をするとき、自分自身の決定が意識として昇るより前に、すでに無意識にある脳の回路で決断が下されていることが分かっています。

例えば、パン屋さんで数ある種類の中からメロンパンを食べたいと選んだとき、その決定は、すでに潜在意識の中で決定されているということです。

このように、使いようによっては毒薬にも良薬にもなる可能性を潜在意識は秘めています。

そのため、ナポレオンヒルなど多くの成功哲学は、この潜在意識をよい方向に利用しようとします。

偽薬であるプラシーボが、病気の治癒に一定の効果をあげるように、潜在意識に働きかける暗示には力があります。


江戸時代の僧・白隠慧鶴(はくいんえかく)禅師が確立した、暗示の一種である軟酥(なんそ)の法という健康法も、医者に見捨てられた患者が回復した話があります。

心身統一法を打ち立てた中村天風氏も、潜在意識を徹底的に書き換えることを中心に据えています。

そして、日本には言霊という成句があるように、言葉には霊力が宿ると信じられてきました。

例えば悪魔ちゃんですが、もし赤ちゃんがこの名前に決まっていたら、人からは常に、


悪魔悪魔悪魔


と呼ばれ、

自分で名前を書くときも常に、


悪魔悪魔悪魔


となります。

そうなると、悪魔のような人間になるか、頭がおかしくなるかのどちらかしか、本人の進む道はないでしょう。

このように、言葉に霊力はありませんが、力があることを考慮し、文字の成り立ちや姓名判断を名付けの指針とすることは、間違いではありません。

ここで、著名人の名付けを見てみたいと思います。

元東京都知事の石原慎太郎氏には、

長男、石原伸晃(いしはら のぶてる)
次男、石原良純(いしはら よしずみ)
三男、石原宏高(いしはら ひろたか)
四男、石原延啓(いしはら のぶひろ)

各氏ら四人の息子がおり、それぞれの運勢を姓名判断で占ってみますと、

上の三人が総格32画の大吉数であり、伏運が悪いのみで、他の画数や陰陽配列はすべて良いです。







四男の延啓氏だけ総格33画の吉数で、伏運も良く、他の画数や陰陽配列も良く、完璧です。





総格33画は、流派によって分かれますが、大物になる可能性があると言われる画数です。

石原家は、オウム、幸福の科学、統一教会系といわれる霊友会などと関係が深いとされますが、その一方で、近代合理主義精神の持ち主とも言われる石原慎太郎氏が、どのような思いで息子たちに名前を付けたのか分かりませんが、姓名判断に基づいて決めたことは間違いありません。


では、最後に名付けで気を付けることを整理したいと思います。


  • 姓名判断に科学的や合理的な根拠はなく、単なる占いである。 

  • 科学的根拠のない統計は単なる結果に過ぎず、また内面を統計化することは出来ない。

  • ただし、なるべくなら姓名判断の結果で良いものをつける。  

  • 自分のためでなく、子供のためにつける。 

  • 学者によって意見が分かれたり、時代によって変遷があるものも多いが、個々の字の成り立ちを考慮に入れると良い。

  • 一生その名前を書いたり言われ続けるので、言霊のように潜在意識へと刻まれる。 

  • 決めたあとは、くよくよ悩まない。


こんなところでしょうか。

日本では、なかなか名前を変えることができませんので、じっくり考えて赤ちゃんの名前をつけましょう。

ただ、一度悩み始めると、出口のない迷宮に迷い込んだようになります。

名前の響きや苗字とのバランスなど細かな点もそうですが、決定的な部分で夫婦間の意見の相違が出てきたり、さらには、祖父母など外野からの口出しが始まったりすると、にっちもさっちもいかなくなります。

そんなときは、姓名判断など外部の諸条件を一切排除し、平凡な名前に決めるべきなのかもしれません。

結局のところ、太郎と名付けても、次郎と名付けても、一郎と名付けても、人生とは本人次第で中身が大事だからです。

ただ、どんな名前を付けるにしても、そこに込めた親の想いだけは、しっかり子供に伝えてあげるべきでしょう。






参考文献





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