2017/03/31

鼻の大きいブサイクな男に救いはあるのか?  フランスを代表する映画「シラノ・ド・ベルジュラック」






Julia CasadoによるPixabayからの画像


フランス ドルドーニュ県にあるシラノ像



映画シラノ・ド・ベルジュラックは、実在の人物を主人公にした戯曲が元となる作品です。

詩人で剣士のシラノは、1619年にパリで生まれ、その生涯を劇作家エドモン・ロスタンが戯曲化したのが1897年のことで、当時の公演は圧倒的な盛況で市民に迎え入れられ、現在でも世界中で上演され続けています。




シラノは、饒舌でエネルギッシュで勇敢で、貴族にも媚びない気高い男ですが、身体的なコンプレックスを持つ男として描かれます。


2017/03/28

姓名判断は占いか統計学か? 赤ちゃんの名付けや命名で注意すべきこと








ななほしてんとうさんによる写真ACからの写真 


親が子に与える最初のプレゼントは、名前だと言われます。

先生が読めない名前やキラキラネームが増えたと言われて久しいですが、親にとって名付けは一大事であり、どんな名前にするにせよ、決めるときには必ず悩んでいるはずです。




過去に、子供の名前を悪魔と名付け、役所で受理されなかった悪魔ちゃん事件がありましたが、この親も色々と考えた末のことだと思いますが、子供のためではなく自分のために付けたのでしょう。

子供は一人の独立した人間で、また親とは別の人格であり、別の人生を歩んでいくことを忘れてはなりません。

2017/03/24

怒りを対処する方法 「韓信の股くぐり」 アンガーマネジメント









Wendy CorniquetによるPixabayからの画像 




人間である以上、生きていく上で様々な感情を抱きます。

その中でも、とりわけ負の感情は当人をがんじがらめにしてしまい、犯罪の契機にもなり得ます。




憎悪・嫉妬・復讐・恐怖・虚栄・絶望・不安・迷信・激怒・悲観


これら負の感情は、小説の題材になくてはならないものですが、実生活で抱きたいと思う人はいないでしょうし、並べられた漢字を見るだけで嫌な気持になります。

2017/03/22

自分探しの旅に向かう映画「イントゥ・ザ・ワイルド(Into the wild)」  物質や社会を否定して先の僻地アラスカで見付けた答え








Noel BauzaによるPixabayからの画像 


映画「イントゥ・ザ・ワイルド」は、俳優のショーン・ペンが、ノンフィクション小説「荒野へ(Into The Wild)」に惚れ込み、その原作をもとに作成へと漕ぎ着けた映画です。

主人公は、身の回りの物質や社会といった近代文明を否定し、精神を探求する一人旅に出ます。

愛読書は、自然を讃歌するソローやジャック・ロンドンのもので、途中持っていた車を捨て、お札を燃やします。





そして、食べ物は道中で確保するため、銃で狩りを行います。

2017/03/19

やられたらやり返す復讐はエネルギーの浪費なのか魂の落とし所なのか?  おすすめの歴史小説「敵討」吉村昭  








歌川広重 曽我物語図絵

パブリックドメイン  Wikimedia Commons



敵討ち・仇討ち・復讐・報復が、洋の東西を問わず古くから広く見られ、自分や集団を守るという大義名分が後押し
、人間社会における根源的な行為となってきたようです。






日本においては、以下に示すものが三大仇討ちとして知られています。


曾我物語鎌倉初期)

武士である曾我兄弟が、父親の仇である工藤祐経を富士の裾野で討った事件


鍵屋の辻の決闘江戸初期)

岡山藩士の渡辺数馬と、郡山藩剣術指南役の荒木又右衛門が、数馬の弟の仇である河合又五郎を伊賀国上野の鍵屋の辻で討った事件


忠臣蔵江戸中期)

赤穂浪士が、主君の仇である吉良上野介を本所松坂町の吉良邸で討った事件


赤穂義士の46人は、主君への忠義は認められたものの、正式な敵討とは見なされず全員切腹させられましたが、江戸時代中期の終わりに「御定書百箇条」により、敵討が一部制限の上で制度化されました。

具体的には、主人や親、兄など目上の者が討たれた場合に限定し、また敵討の敵討である重敵討を禁止し、そして事前に藩へ届け出をし、藩主から免状を貰い、幕府の奉行所に届け出ていれば、敵を討ったあと罪を問わないこととしました。

また、敵討は武士だけに認められた制度でしたが、農民や町人、女性の間でも行われ、儒教の柱である忠孝の観点から、成功したあとは罪に問われないことも多く、称賛されもしました。


この敵討制度は、明治維新により中央集権国家が誕生し、西欧を模した法治主義へと舵を切る中で、明治6年(1873)に廃止されました。

つまり、美風とされていた敵討が殺人罪となりました。


吉村氏が執筆した本作品は、江戸時代後期と明治初期に起きた2件の実際に起きた事例を扱っています。


(ネタバレあります)
一件目の「敵討」は、伊予松山藩士が主人公で、伯父と父の二人を殺された熊倉伝十郎が、首尾よく敵討を果たす物語であり、敵の黒幕は、天保改革を実行した老中水野忠邦の手先、鳥居耀蔵であったという話です。

二件目の「最後の仇討ち」は、勤王か佐幕かの幕末の政争で、敵対グループに父と母を殺された息子の臼井六郎(この時11歳の少年)が、臥薪嘗胆の思いで成長を待ち、元号が明治に変わり、敵討禁止令が出される大動乱の中で敵を討つ話です。



あとがきに書いてあるように、氏は個人的な出来事の敵討に興味はなかったそうですが、後に歴史的事件と関わりのあることが分かり、2件の敵討について執筆したと述べています。

そんな歴史上の重要事件を小説で解き明かすことをライフワークとしてきた吉村氏の書くものは、史実に忠実な記録文学と言われる一方で、人情の機微が上手く描けていないと一部では言われていました。

本作品は、その吉村氏の特徴が遺憾なく発揮されています。


装飾を排した端正な文章が、淡々と細部に渡り描かれており、敵討に至る過程が臨場感を伴って伝わり、緊迫感を高めていきます。

特に二作目の「最後の仇討ち」は母まで惨殺されており、その端緒の悲惨さに加え、犯罪となった敵討の禁を犯すことにより、報復による読者のカタルシスはさらに高まります。


しかし、本編の2作を含め、現代に伝わる仇討ちの事例はほとんどか報復に成功したものであり、その何十倍もの件数が成就できずに歴史の闇へと消えていった言います。

相手を見つけられなかった者、ようやく見つけたとしても返り討ちにあった者など、歴史はこのような者たちに光を当てません。

例え成功したとしても、死んだ者は決して返ってきませんし、復讐が復讐を呼び、止めどない復讐の連鎖が巻き起こることもあり、エネルギーと時間の莫大な浪費と見なすこともできます。

敵討に費やした最大の年月は、
幕末の嘉永六年(1853)にとませという名の山伏の妻が、母親の仇である源八郎を、53年間もの探索ののち、陸奥国行方群鹿島駅陽山寺で討ち果たした事件となっています。

そのため、日本とは違い、アングロサクソンやゲルマンでの殺しに対する復讐は、時代を経るにつれ、金品であがなう方向に向かいます。

また、世界に残る復讐に関する言葉は、復讐に否定的なものが多いです。



立派な生き方をしろ。それが最大の復讐だ。

Live well. It is greatest revenge.

ユダヤ教の聖典 タルムード



復讐ほど高価で不毛なものはない。

Nothing is more costly, nothing is more sterile, than vengeance.

ウィンストン・チャーチル(イギリスの政治家)



最良の復讐は、害をなす人とは違う人になることである。

The best revenge is to be unlike him who performed the injury.

マルクス・アウレリウス・アントニヌス(第16代ローマ皇帝)



許すことは復讐に勝る。

Forgiveness Is Better than Revenge.

エピクテトス (古代ギリシア、ストア派の哲学者)



愉快に暮らしているのが最大の復讐である。

Living Well Is the Best Revenge.

ジョージ・ハーバート (17世紀イングランドの詩人)



怨みに報ゆるに徳を以てす
(らみにむくゆるにとくをもってす)

以徳報怨

老子(道教の始祖)



これらの言葉にあるように、復讐をしなくてよいのなら、それに越したことはないかもしれません。

しかし、本作品に収録されている二編は、面目を極端にまで重視する江戸期の武士に関連する事件であり、親や兄を討たれたら、名誉回復のために、否応なしに復讐の旅に出なければなりませんでした。

二つの物語は最終的に成功し、読者は言い知れぬ虚しさと共に胸を撫で下ろします。

人間は感情の生き物であり、納得しかねる行為には同意できないようになっています。


作家の菊池寛は、1919年に発表した短編小説「恩讐の彼方に」で、父の仇である市九郎を最終的に許す息子の中川実之助を、江戸時代のアンチテーゼとして描きました。

市九郎は、贖罪を村人への報われない奉仕に昇華させ、洞門の開通という仕事を一心不乱に行い、21年後に実を結んだとき、従容として実之助に斬られようとしました。

その姿に胸を打たれ、実之助は市九郎を許すというストーリーです。




青の洞門

D700さんによる写真ACからの写真



この「恩讐の彼方に」にあるように、被害者遺族にとって、加害者の反省が一つのキーワードになるかもしれませんが、加害者が喜びという感情を所持していることや、加害者が息をしていることすら憎らしいと考えることも事実です。

身内の殺害という不条理に、あてのない答えを出そうとすると、敵討という復讐の誓いを立てることになるのかもしれず、日本の死刑制度が支持されている理由も、そこにあるのかもしれません。








参考文献

2017/03/15

主人公トニー・モンタナに見る稚気とタナトス  万人にはおすすめできないが、アル・パチーノの才気が迸る映画「スカーフェイス(SCARFACE)」





ニーチェ

フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ


Wikimedia Commons パブリックドメイン



真の男のなかには、ひとりの子供が隠れている。この子供が遊びたがるのだ。

In every real man a child is hidden that wants to play. 

Im echten Manne ist ein Kind versteckt; das will spielen. 


これは、ドイツの哲学者であるニーチェが残した言葉ですが、まさに映画「スカーフェイス」の主人公トニー・モンタナのためにあるような言葉です。






(ネタバレあります)

本作は、キューバで反カストロ主義者として追放され、船でフロリダのマイアミにやってきたアル・パチーノ演じるトニー・モンタナが、己の度胸と才覚を頼りにマフィアとして成り上がり、最期は破滅するという単純なピカレスクものですが、侮るなかれ、ここには、金、女、権力、薬物といった飽くなき欲への渇望を超えた、真の男の中に棲む稚気を、アルパチーノが見事に演じきっています。









男の子は、ウルトラマンや仮面ライダーなどのヒーローものを観れば、目を輝かせて主人公を気取り、本気で世界を救えると無邪気に思っているように、母親を含めた年配の異性の愛を精一杯受けている限り、当映画の冒頭に出てくる言葉のように、


The World Is Yours

世界は俺のもの


と思っています。

しかし長ずるにつれ、異性や他人の目を意識するようになり、思春期になると髪の毛を染めたりワックスをつけたりと外面ばかり気にするようになり、見栄のために下らないバイトテロを行ったりもします。そして、大人になると虚栄心が頭をもたげ、純粋な子供心を失っていきます。

その中にあって、童心を保ち続ける大人の男性は、異性だけでなく同性から見ても魅力的に映ります。

女性は、大人の男性の中に子供心を見出すと、母性本能をくすぐられます。

本作はまさに、僅かな男だけが持つ真の稚気を、歪な表現とはいえアル・パチーノがこれでもかと見事に演じています。

トニー・モンタナは物語の終盤で、敵に回したマフィアとの抗争で、以下の言葉を絶叫して機関銃をぶっぱなします。


Say hello to my little friend!

俺の坊やに挨拶しな!


この言葉は、アメリカの映画を振興する機関AFIが行った名ゼリフトップ100で61位を獲得しています。

逆上し、親友を殺してしまう行為には疑問符が付きますが、フロイトの説いたタナトス(死の欲動)へと突き進み、豪快に殺される死に様は、天晴れです。

どんなに堅い人生を送っている保守的な人でも、環境の変化への適応力を高める危険な行動を、潜在意識では求めています。

なぜなら、我々の遺伝子には、過去地球上で何度か起きている、環境の大変動による大量絶滅の記憶が刻まれているからです。


いまの穏やかで安全な環境は永遠には続かない。このことを、我々は遺伝子レベルで理解しています。

そしてその時は、自分を変革させなければ生き延びられないことも遺伝子レベルで知っています。

生物の種が分化するような大きな進化は、みな外部環境が大きく変化したときに起きているからです。

そして言うまでもなく、変わるということは安定を放棄する危険な賭けになります。動物の脱皮の時や羽化の時など、捕食者から命を狙われるのが高まるのも、同じように変化のときです。

つまり、トニー・モンタナの、死へとひた走る危険な行いを観たとき、表層意識では狂気と見なしても、潜在意識では何かを感じています。


この映画で演じるトニーモンタナの、己の可能性を試そうとする一人の男の純粋な冒険心、すなわち稚気と、タナトス(死の欲動)に向かう行動は、我々の意識や心に訴えかけるのです。


この映画が一定の支持を得ているのは、他を寄せ付けないアルパチーノの圧倒的な演技だけでなく、そこにもあります。

ブライアン・デ・パルマ監督、オリバー・ストーン脚本、ミシェル・ファイファー演じるお高く留まる女と、脇を固める人物もアルパチーノの演技を見事に引き立てています。

万人受けする映画ではありませんが、興味がある方はぜひご覧ください。

Say hello to my little friend! からラストシーンまでの動画です。未見のかたは気を付けてください。



















参考文献 
永井俊哉ドットコム 専門の壁を越えた 縦横無尽の知的冒険 冒険はなぜ楽しいのか




2017/03/14

長男の特徴と性格  一姫二太郎という成句から長男のメリットとデメリットを検証する 







acworksさんによる写真ACからの写真 


長男は気弱な人間に育つ可能性がある、と言われることもありますが実際どうなのかを考察してみます。

昔から存在する一姫二太郎という成句の意味は、初めに授かるのは女児がよく、二番目に授かるのは男児がよいという理想の順番を表しているものです。





その理由は、


  • 女児は男児より病気にかかりにくく、大人しくて育てやすいため、不慣れな一人目の育児は女児がよい。 

  • 一人目に家を継ぐ男児が産まれなかった者への慰めの言葉として、一人目は女児がよい。 

  • 一人目に女児を授かると、将来下の子が産まれたときに色々とお手伝いをしてくれて母親が助かる。 

  • 肩幅が広いなど骨格がたくましい男児は、産道が広がっている二人目に産むのがよい。 


などの意味があるようです。

2017/03/08

現代社会に見える兄弟の典型と争いの果てにあるもの  仲代達矢主演のおすすめ戦国映画「乱」黒澤明監督









武田信玄 vs  上杉謙信
川中島古戦場史跡公園


ゆぅーちゃんさんによる写真ACからの写真 




冒頭の二体の銅像は、風林火山と毘沙門天の幟旗(のぼりばた)から分かるように川中島の戦いで有名な武田信玄と上杉謙信ですが、本記事の題材は、同じく戦国時代が舞台設定である映画「乱」についてです。

映画「乱」は黒澤明監督の手による作品で、主人公は、仲代達矢氏演じる70歳の戦国大名・一文字秀虎であり、その息子たちとして、成人した男の三兄弟が登場します。






それぞれの性格は特徴的で、


ひ弱な長男

抜け目のない次男 

自由奔放な三男


となっており、長男を寺尾聰氏、次男を根津甚八氏、三男を隆大介氏が演じていますが、その性格は、現代社会で見られる象徴的なものとなっています。


2017/03/06

力なき正義は無力なのか?  アル・パチーノ主演のおすすめ映画「セントオブウーマン・夢の香り」








Sang Hyun ChoによるPixabayからの画像 


力の象徴である剣を持つ 正義の女神・テミス像



映画「セントオブウーマン」は、俳優アル・パチーノの代表作であり、盲目の気難しい元軍人という難役の主人公を見事に演じています。


そして、もう一人の主人公は、奨学金で名門高校に入学した実直な青年の役、こちらも俳優クリス・オドネルが好演しています。






物語は、クリス・オドネル演じるチャーリーが、故郷オレゴンに帰省するための旅費を稼ぐため、アル・パチーノ演じる盲目のフランクを世話するアルバイトに申し込み、そこから二人のニューヨークへの旅が始まる流れとなっています。

ただこの旅行前にチャーリーは、金持ちの同級生が起こした校長へのイタズラを目撃し、もし犯人の名を明かしたらハーバード大学への推薦を認め、隠したなら退学という厳しい選択を校長から迫られ、仲間を売るか守るかの悩みを抱えたままの旅行となりました。

本作を語る上で外せない場面は、ニューヨークの五番街に位置するホテル、「ザ・ピエール」のボールルームで撮影された、華やかなダンスシーンです。

ホテルのラウンジで一人座っている若い女性ドナに、フランクがタンゴを踊らないかと誘います。

失敗するのが怖いからとためらうドナに、フランクが粋な言葉を掛けます。


タンゴに間違いはないよ、人生と違って。簡単だよ。それがタンゴの素晴らしいところさ。もし間違って足がもつれても、踊り続ければいい

No mistakes in the tango, Donna, not like life. It's simple. That's what makes the tango so great. If you make a mistake, get all tangled up, just tango on.



作中の会話引用


その言葉に承諾したドナは、フランクと手を取り合ってボールルームに向かいます。

そこで流れ始めるのは、タンゴの名曲ポル・ウナ・カベーサ。

二人のダンスが始まると、初めは戸惑いの色を隠せないドナですが、フランクの優雅なリードに、やがて心と身体を開いていきます。

ブルネットの髪をアップに、背中を大きく開けた黒いドレスを纏うドナが時折見せる笑顔は可憐です。

まるで、一期の夢のような華やかな世界が展開されます。






このアル・パチーノとガブリエル・アンウォーのタンゴを踊るシーンは、レナードの朝のダンスシーンと共に、映画史に残る場面です。

ちなみにフィギアスケートの浅田真央ちゃんも、ポル・ウナ・カベーサを使用して氷上を舞ったことがあります。

この曲は、アルゼンチンの国民的タンゴ歌手であるカルロス・ガルデルが作曲したものです。

そして映画のクライマックスは、一人の実直な青年が、自分の考える正義を貫くべきか否か、自分との対決です。

フランスの哲学者であるパスカルはこう言いました。


力なき正義は無力であり、正義なき力は圧制である。

Justice without force is powerless; force without justice is tyrannical.

La justice sans la force est impuissante ; la force sans la justice est tyrannique.


まさにこの言葉は、力はないが、仲間を売るまいとして誠実な人間たろうとする一人の純朴な青年と、
たわいもない私怨から一人の学生を試し、人生の選択を迫ろうと理不尽な圧制を敷く校長に当てはまります。

このように人間には、自分の心が命じる正義を、社会や組織の圧制の下で、行使をするか否かの決断を迫られるときがあります。

ではその時どうするべきか?

もし私が息子に、チャーリーのような状況で悩んでいると相談されたら、フランクがアドバイスしたように、友達を売れと伝えるかもしれません。


「お前が正義を貫くべきときは、こんな所ではない。
人生にいつか訪れる大事のために、とっておくべきだ」



しかし、人間には負けると分かっていても、自己の良心・信念・正義を貫くべきときがあるはずです。

インドの独立を勝ち取ったマハトマ・ガンジーや、アパルトヘイトを廃止させたネルソン・マンデラのように、牢獄に入れられようとも信念を曲げない人間の高潔さに、我々は心を打たれます。



この辺りからネタバレになりますので、未見の方は気を付けてください。


結局チャーリーは、公聴会で友達を売ることなく曖昧な返事をしたため、校長から退学を申し付けられます。

そこから、チャーリーを擁護するフランクの大演説が始まります。

このシーンは、アル・パチーノという円熟した役者のまさに圧巻の演技です。

是非とも吹替えではなく、アル・パチーノの生の迫力が伝わる字幕表示で観てください。


そして物語の最後は、人生の起伏を経験し、深い苦悩を抱えながらも、再び生きていこうとする一人の老齢の男を、これから人生の船出を迎える一人の青年が見守るという画面が映し出されます。

このシーンは、我々に、人生には山あり谷ありの起伏があり、ときに絶望するような出来事に見舞われるかもしれないが、もがきながらでも生き続けよう、というメッセージに受け取れます。


それはまさしく、


足がもつれても、踊り続ければいい。

If you're tangled up, just tango on.



作中の会話引用


この映画を後から振り返り、冷めた目で欠点を挙げるすれば、校長の理不尽な要求や、盲目にもかかわらずフェラーリを運転することや、演説のためにあるような全校生徒の前での公聴会や、演説後の大袈裟な喝采や、アメリカの戦争が正義であるかのようなプロパガンダなどありますが、それらを補って余りある魅力がこの映画にはあります。

観ている者を物語に引き込む力が、セントオブウーマンという映画にはあります。


夢の香りという副題が示すのは、我々にとって異性との出会いとは、時に人生のスパイスとして、時に大いなる目的として、時に歓喜を呼び起こすものとして、時に残酷なものとして、立ち現れることを見事に表現しています。

タンゴを一緒に踊り、一夜の夢のようなひとときを過ごしたドナが、彼氏に連れ去られてしまったように……


ちなみに、ダンスの曲として使われているポル・ウナ・カベーサ(Por Una Cabeza)の意味は、「首ひとつの差で」というスペイン語の競馬用語であり、首ひとつの差で負けた競走馬を引き合いに出し、恋にわずかの差で敗れた男の心境が歌われています。

まさにこの映画に当てはまります。

映画の全編を通し、態度は豪快だが、内面は繊細なフランクを演じるアル・パチーノと、一見優男だが、内面は芯のあるチャーリーを演じるクリス・オドネルの対比と、両者の味のある演技も見所です。

とにかくお薦めの映画です。







2017/03/01

熱血予備校講師 代々木ゼミナール・西谷昇二 「何のために生まれて、何をして生きるのか?」









誰しも、多感な時期に接した想い出に残る先生がいると思います。

遠い昔の浪人生時代、私は代々木ゼミナールに通っており、英語は西谷昇二先生のコマを受講していました。




代ゼミの西谷といえば、予備校業界では東進ハイスクールの林先生に負けず劣らず有名で、講師歴は30年以上になるそうなので、この記事を読んでいる方の中にも教えを受けた方がいることでしょう。