2017/02/07

後漢書の言葉「壺中天有り」の意味






後漢書の言葉 壺中天有り


綠釉騎馬人物紋壺 漢朝
撮影者 Hiart     CC0 1.0


夢や目標に向かって懸命に努力している人にとって、1日が24時間しかないことは不満に感じるでしょう。

物事に熱中すると、いつの間にか時が過ぎており、時間がいくらあっても足りません。





また、食べるために別の仕事をしつつ、空いた時間に好きを仕事にするためもがいている人にとっては、特に1日の時間の短さを感じるでしょう。

通勤時間や昼休みを使い、束の間の創作に励む人も多いかもしれません。

ここに6つの言葉があります。


忙中閑有り(ぼうちゅうかんあり)

苦中楽有り(くちゅうらくあり)


死中活有り(しちゅうかつあり) 


壷中天有り(こちゅうてんあり)


意中人有り(いちゅうひとあり)


腹中書有り(ふくちゅうしょあり)



この言葉は、戦後歴代首相の指南役を務めたとされる陽明学者の安岡正篤氏が残した「六中観(りくちゅうかん)」と呼ばれるものです。

この中で「死中活有り」という言葉は、



絶望的な状況の中で、生きる道を見出そうとすること

難局を打開するため、あえて危険を冒すこと



の意味で、後漢書・公孫述伝に記載のある、



男児當死中求生 可坐窮乎

男児は當に死中に生を求むべし、坐して窮す可けんや


男児たるものまさに死中に生を求めるべきであり、坐して窮地に陥るべきではない


引用参考文献 全訳後漢書〈第11冊〉列傳(1) 汲古書院 渡邉 義浩 堀内淳一



から来ている有名な成句ですが、今回は、


壺中天有り(こちゅうてんあり)


を取り上げたいと思います。


出典は後漢書の方術伝費長房です。



後漢書 方術伝費長房 壺中天有り 壺中の天


後漢書 南宋紹興刊本 范曄 作
Wikimedia Commonsより


後漢時代、汝南の費長房は市場の役人をしていた。彼が管理する市場の中に薬売りの老人がいて、店先に一つの壺をぶら下げていた。この老人は、市場が終わると、いつもぴょんと壺の中に跳び込んでいった。市場でこのことを見た人はいなかったが、費長房だけは、楼上から見ていて不思議に思っていた。そこである日、費長房は老人のもとへ行き、酒と肉を差し出すと、老人は「そなた、明日もう一度来なさい」と言った。翌日費長房は老人を訪れると、壺の中に一緒に入れてくれた。そこには、きらびやかな御殿が立ち並び、旨い酒と美味い料理が満ち溢れていた。


というお話です。


一般的な解釈としては、「俗世間を忘れた別天地で楽しむ」ということになりますが、


「どんな境遇にあっても、自分だけの世界を持つ」

「どんな境遇にいても、超絶としている」

「小さな世界にいても、大きな空は望める」




という意味にも取れ、そのように解釈することもできます。

私としては、どんなに俗世間にまみれていても、心に錦を失わず、大きな空という目標に向かうとの解釈を取りたいと思います。



壺中天有り

俗世間を超越し、壺の中から大空を望め



この言葉を、私を含め、雑事に紛れながらも夢に向かっている人に贈ります。







参考文献
中国古典文学大系〈第13巻〉漢書・後漢書・三国志列伝選 平凡社 本田済編訳


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