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2017/02/01

劇的なラストへ収束していく小説「侍」遠藤周作 武士と宣教師の二人の壮絶な人生






小説「侍」 遠藤周作 支倉常長 長谷倉

支倉常長像
Wikimedia Commons


作家・遠藤周作氏の代表作といえば、マーティン・スコセッシ監督によってハリウッド映画にもなった「沈黙」を挙げる方が多いかもしれませんが、私は「侍」に一票を投じたいと思います。

まず「沈黙」を代表作として選べない理由は、沈黙の主人公であるポルトガル人司祭・ロドリゴにまったく共感が持てなかったからです。





沈黙の舞台は、1638年に起きた島原の乱以降のことで、キリスト教信者に対する弾圧は激しさを増しています。

そのような危険なキリスト教禁教国・日本に、死を賭してまで渡ってくることに共感が持てませんでした。

作中に「栄光ある殉教」という言葉が登場しますが、囚われる確率が高く、その場合間違いなく拷問に掛けられ、その先は磔(はりつけ)での処刑が約束されているにも関わらず、そこまでして日本に渡ってくるのが、仮に中世から近世の物語とはいえ、宗教に殉じる行為を肌感覚として持っていない日本人としては理解しにくいところです。

イエス・キリスト受難の物語や、キリストの弟子である十二使徒の迫害と殉教の歴史を、知識として持っていれば多少違うのかもしれませんが、やはり殉教という行為は肌感覚として理解できません。

戦前の日本には、国家や天皇陛下に殉じ、潔く散華していった特攻隊員が存在していたことは確かですが、彼らの本質は、故郷や国家に住う家族や子供たちへの想いのため、この「沈黙」のテーマである、純粋に宗教へ殉じようとするロドリゴに共感が出来なかったため、小説「沈黙」は初めから読むのにつまずいてしまいました。

一方で「侍」の舞台は1613年であり、関ヶ原の戦いから13年後の大坂冬の陣の前年に当たり、江戸幕府によるキリスト教禁教令は1612年と1613年に出されていますが、それほど徹底されてはいません。

また、主人公の宣教師・ベラスコが危険を冒して日本で布教する理由として、世俗的な野心が中心となっているため、物語として理解しやすいのです。

実際、ベラスコのモデルとなったルイス・ソテロは、そのような人物だったと言われています。


そのような小説「侍」は、史実を基にした作品です。

仙台藩主・伊達政宗は、徳川家康の許可を得て、通商目的のためにスペインへ180人余りの使節団を送ります。

その帆船によって、太平洋を横断した使節団の正使兼通訳のスペイン人・ベラスコと、副使である仙台藩士・長谷倉の二人を主人公とした物語が本書になります。

仙台藩士・長谷倉のモデルも、もちろん実在の人物である支倉常長となっています。

ちなみに本書には、伊達政宗が企てようとしていた、スペインの無敵艦隊を頼って徳川幕府を倒す壮大な計画には触れておらず、主題は生と死となっています。

とにかく、描写と会話の絡み合いが名人芸を見るようで鮮やかであり、臨場感がひしひしと伝わってきます。

そして、劇的なラストへと収束していく。

この展開は、凡百の言葉を並べ立てても説明できません。

百聞は一読にしかず。

是非読んでみてください。














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