2017/12/24

東大理三には最高峰の知性が集っているのか? 日本に天才を生み出さないために学制改革を行ったGHQ(証言あり)






東大 東京大学 知性 最高峰 高偏差値

DotstikによるPixabayからの画像 


最近とある母親が脚光を浴びています。


それは、自分の子供4人全員を、東京大学理科三類に入学させた佐藤亮子さんです。





今まで、子供全員を東大や京大に入れた親御さんの本はありましたが、日本の偏差値最高峰の東大理三となると初めてであり、俄然その教育方法に注目が集まっています。

2017/11/24

物事を達成するために一番大事なこと おもちゃのクレーンゲームから「ホモ・サピエンス」というラテン語名を考える






UFOキャチャー クレーンゲーム


ShioriさんによるイラストACからのイラスト 


娘が小さい頃、ゲームセンターでクレーンゲーム(UFOキャッチャー)をやったことがあります。

対象は可愛らしいぬいぐるみで、ケースに何種類かある中で娘の希望するものに焦点を定め、試行錯誤しながら三回ほど行いました。

しかし、結局取ることは出来ませんでした。





これ以上やっても無駄だと思い、その場から去ろうとしたのですが、娘がどうしても欲しいと言うので、再び挑戦することにしました。

2017/11/19

愛国心の必要性を進化から紐解き、さらにグローバル化に伴う国家の枠組み解体について考えてみる





日の丸 国旗 日本


愛国心という言葉は、日本ではあまり良い意味に用いられていないようです。

日の丸や君が代など、国旗や国歌に嫌悪感を示す人たちが、今でも大勢います。





その原因は、大東亜戦争における徹底的な敗戦、GHQの統治方針、戦後蔓延した共産主義思想、日教組による左翼教育、反日勢力によるプロパガンダなどによるものと思われますが、愛国心という響きに悪い印象を持つ国民が、特に過去の日本には大勢いました。


2017/11/04

就職活動で大切なこと 自己分析や情報収集をはじめる前にすべきこと







やりたいことの見つけ方


OpenClipart-VectorsによるPixabayからの画像 


やりたいことが分からない、好きなことが見つからない、と悩む若者が大勢いることはよく聞かれます。

Appleの創業者であるスティーブ・ジョブズは、スタンフォード大学での卒業スピーチで学生に向け、


「自分の好きなことに出会えば、心が自(おの)ずから分かる」


と語りかけています。





ただしこの主張は、自分の気持ちに正直に生きてきたジョブズだからこそ口にできた言葉であり、自分の気持ちを偽って生きてきた人や、親や社会の常識で物事を判断してきた人は、好きなことに出会っても分からないはずです。

2017/10/29

成功体験や前例踏襲を否定できる柔軟性を獲得する 環境の変化に適応できる人間になる方法を考察する








平家物語 下村本

パブリックドメイン



音楽を聴く環境は、レコード、カセットテープ、CD、MD、ハードディスク、そしてWEB上へと変化していきました。

今の状況を昭和の時代に予測できた人はほぼいないはずですが、社会は常に変化しており、従来のやり方に固執していれば、あっという間に取り残されてしまいます。






音楽を聴く側であれば構いませんが、楽曲をユーザーに提供し、お金を稼ぐ手段とする場合、現在CDの販売だけを行う業者は存在していないはずです。

現代の若者にとって、音楽とはネットを通して聞くのが当たり前であり、その環境も、かつてはプレイヤーに曲を落とすダウンロードが主流でしたが、いまは大容量のデータ送信環境が整い、ストリーミングに取って代わられようとしており、特典などを除けば、CDを購入する行為に食指が動くことはないでしょう。

このような技術の進展に伴う消費者の変化に、供給側は追い付いていけなければ生き残れません。

2017/10/14

フィンセント・ファン・ゴッホの糸杉(Cypresses)に見る絵画の接し方







メトロポリタン美術館 THE MET

NYメトロポリタン美術館(THE MET)


anielbaez0によるPixabayからの画像 

海外旅行の楽しみとして、美術館巡りを挙げる人は多いかもしれません。

絵画などは、各国の美術館を転々とすることがあるとはいえ、そのときそこでしか観られない美術品も当然あります。





また、その作品が現地で製作されたものならば、旅先で感じた土地の息吹きと共に接することで、より深く対象に迫れるでしょう。

2017/10/08

おすすめのドキュメンタリー映画「ザ・ムーン」 太陽系を飛び出す人類の未来と挑戦を占う 








スターバースト銀河


スターバースト銀河

NASA パブリックドメイン
Image credit: ESA/Hubble & NASA and N. Grogin




人類に残された最後のフロンティアは、宇宙です。

約700万年前に、ボノボとチンパンジーの共通祖先と分岐して独自の進化を遂げてきたヒトは、やがて地球上の隅々まで進出し、ついには宇宙空間にまで飛び出して行きました。





第二次世界大戦後の米ソ冷戦によって宇宙開発に巨費が投じられ、


  • 1957年に、世界初の人工衛星「スプートニク」がソ連によって打ち上げられ、
  • 1961年に、ソ連のガガーリンが地球を1周して人類初の宇宙飛行士となり、
  • 1966年に、ソ連の月探査機ルナ9号が月面軟着陸に成功し、
  • 1969年に、アポロ11号がアメリカから打ち上げられ、搭乗員のニール・アームストロング船長が、人類初の月面への一歩を記録しました。


しかし、その後の宇宙開発は停滞し、月面を歩いた人間は12人を数えるのみで、現在は火星に移住どころか月面基地すらも建設されていません。



2017/10/06

特攻隊員が残した本音の遺書と戦争について考察しました








穴澤利夫少尉搭乗機 「隼」 知覧飛行場


出典 「毎日グラフ」1965年11月25日臨時増刊号〜続日本の戦歴
撮影日 1945年4月12日 撮影者 Hayakawa (早川)
Wikimedia Commons パブリックドメイン


第二次世界大戦末期、日本は劣勢を挽回するため、人間もろとも飛行機で敵艦に体当たりする神風特別攻撃隊を編成しました。

生還率ゼロの特攻は、空だけでなく海や陸でも行われ、二十歳前後若者たちは、遺書を残して出撃していきました。





その後世に託された多くの遺書は、靖国神社の遊就館や、各県の護国神社や、知覧特攻平和会館などで実物を見ることができます。


2017/09/28

戦争をテーマにした純文学短編小説 「最後の授業」









表紙 いおりんさんによる写真ACからの写真を改変



この道を行けば、どうなるものか

危ぶむなかれ、危ぶめば道はなし

踏み出せば、その一足が道となり

その一足が道となる


迷わず行けよ

読めばわかるさ


内容はタイトルそのまんまです。

Brandーnew 純文学短編小説。


ありがとー!!!










2017/09/23

リチャード・ギア主演のおすすめ映画「愛と青春の旅立ち」 青春映画の金字塔かつ出世作








skeezeによるPixabayからの画像 


大東亜戦争で徹底的に敗れた日本は、戦後アメリカの庇護のもと、大量のアメリカ文化を受け入れて育ちました。

ハリウッド映画はその尖鋭としての役割を担い、自由で豊かなアメリカを日本国民は見せつけられてきました。







そのため戦後の日本では、無条件にアメリカ文化を賛美する風潮が色濃く存在し、それらが本作の評価を押し上げていると思われますが、それを抜きにしても、青春映画の王道と言える作品でしょう。

2017/09/15

村上春樹の作品を徹底的に分析する ファンタジーの中のリアリティ(……?)








Michael SchwarzenbergerによるPixabayからの画像 



村上春樹氏といえば、コアなファンとアンチに真っ二つに別れ、作品に賛否両論が巻き起こりますが、世界的に名が知られた日本を代表する作家です。

そんな春樹氏が文壇デビューを果たしたのは、氏が30歳のときの1979年であり、長編小説の「風の歌を聴け」で群像新人文学賞を獲得し、作家としての道を歩み始めました。





その2年後に、経営していたジャズ喫茶の店を畳んで専業作家となり、そこから精力的に短編を書き続け、長編も着実に出していきました。

そんな春樹氏を一躍有名にしたのは、37歳のときに書いた恋愛小説「ノルウェイの森」でした。

当時としては空前の売り上げを誇り、社会現象すら巻き起こし、現在まで1000万部以上売れている大ベストセラー作品です。

本の内容は、何の変哲もない恋愛と呼べるか分からない恋愛小説であり、愛にまつわる人間のおぞましい欲望や高潔な精神が描かれているわけでもなく、恋の駆け引きや苦悩が表現されているわけでもなく、無意味に人が自殺する論理もへちまもない作品ですが、日本中で売れに売れました。


では、この作品が売れた理由を考察してみます。


この本が発売された1987年の世相は、バブル景気が加速していく頃で、人々はお金を持っていたことが売れた要因として1つあるでしょう。

また物語の冒頭は、ハンブルク空港に着陸しようとするボーイング747の機内であり、そこからBMW、フランドル派、ビートルズ、ビリージョエルと登場し、極めつけはスチュワーデスとの英会話と、2ページの中に異国の香りがところ狭しと漂い、好景気により増えていた海外旅行へ誘う文面が、人々の興味を誘ったこともあるでしょう。

他には、好景気によって生存の不安がなくなり、人生の目的がないとすれば、あとは異性を求めるだけですから、恋愛小説と銘打ったこの本に指南書としての役割を期待し、購入されたのも1つの要因でしょう。

本の装丁が赤と緑のクリスマスカラーで、自分や他人へのプレゼントに選ばれたのもあるかもしれません。

さらには、流行している本だから素晴らしいのだ、という日本人特有の同調圧力が売り上げを加速させたことも要因としてあるでしょう。


しかし、本質は違うところにあると私は考えます。

好景気に浮わつきつつ、買い物や旅行、高級レストランやディスコに精を出したとしても、心からの充実は得られません。

むしろ、物質などの外から与えられる条件が増せば増すほど虚しさは募り、人々の満たされない気持ちは心の奥底に積もっていったと思います。

そんなときに、意味もなく自殺し、意味もなくセックスをする、退廃的で不合理でアンニュイな、文学という衣をまとった春樹氏の作品が登場しました。

人々の満たされない気持ちが、作中の登場人間たちの行動によって正当化され、読者たちは救われたのではないでしょうか。

まさしく小説ノルウェイの森は、時代に蔓延する満たされない精神を、投影していたのです。


彼は決して時代に媚びたのではなく、時代と寝ていたのです。






その後の春樹氏は、国内ではベストセラーを連発し、海外でも売り上げを伸ばしていき、作家としての地位を磐石なものにしていきました。

また、ノーベル文学賞に近い作家に与えられるとされる、フランツ・カフカ賞やエルサレム賞も受賞して、有名作家への仲間入りを果たしていきました。

このような順風満帆な春樹氏に鉄槌を食らわしたのが、2013年に発売された、



「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」


に対する数々の悪評でした。

作品におけるリアリティのなさが、多くの人々の槍玉に挙げられました。

春樹氏の多くの作品はファンタジーであり、そこを受け入れて楽しむ読者が大勢いますが、多崎つくるはファンタジーを抜きに成り立つ現代小説であり、読者を納得させて虚構に入り込ませるには、細部に渡る論理的な必然性が求められます。

しかし、多崎にはそれがなく、読者のなぜという疑問に答えは示されず、読者は置いてきぼりをくらいます。

また、孤独や悩みを扱っているにも関わらず、毎度のようにセリフが軽薄で、まさにファンタジーであることから批判に晒されました。

そのリアリティのなさは、春樹氏が本物の苦悩を経験していないからなのか、金と名誉を得たことで書くモチベーションが見つからないのか、ただ単に文藝春秋の編集者が書いているからなのか、もともと細部に渡る論理を構築できない作家なのかは分かりませんが、多崎つくるは物語として上手く機能しているとは言えず、巡礼という大袈裟な言葉が上滑りし、浅薄な感は否めませんでした。

人気作家の宿命とはいえ、毎回期待されるのは酷のような気もしますが、多くの人々は、メディアや評論家が垂れ流すうんざりするほどの賛辞に反旗を翻しました。

特に、Amazonに書き込まれたドリー氏のレビューが注目を浴び、その的確で面白い書評は、多くの人々の賛同を集めました。

春樹氏の作品で語られる、凡人には読み取れないが、実は高度な内容や深遠な哲理が隠されている、などという売り文句に惑わされず、読者たちは自分の判断で作品を評価しました。

他にも、海外で評判だから、外国人が評価しているから春樹の作品は凄いのだといった、日本の有史以来続く卑屈な根性を、ネット時代の闊達な精神によって打破されたことは、画期的であったとも言えるでしょう。

そもそも、作家の本質が現れる処女作の「風の歌を聴け」にしても、論理とは無縁の作品で、虚心坦懐に接してみても、心に届いてくる文言や唸らされる言い回しは、題名以外何もありません。

死は生の対極でも一部でもなく、一体(一如)です。

本人は論理では分からないと語っているそうですが、我々は論理や因果律の世界に生きています。


仮に違う認識論があるとしても、読み終えた後に物語から浮かび上がるテーマは残念ながらなく、少なくとも今までに挙げた作品は、小説であっても芸術ではありません。


では、彼の作品に捧げられた数々の賛美は、すべてがメディアによって作り上げられた資本主義社会の虚構なのでしょうか?


私は、春樹氏の作品をすべて読んだわけではありませんが、1999年に脱稿された短編「かえるくん、東京を救う」は、素直に感情を揺さぶられました。

本編は、神戸の震災にまつわる短編集「神の子どもたちは踊る」の中の一編であり、彼の特徴が凝縮された作品だと思います。

内容は、主人公がアパートに帰ると、部屋に巨大なカエルが待っているところから始まるファンタジーになりますが、1つの世界観が見事に構築されています。

主人公の片桐は40歳の独身で、信用金庫に勤める平凡な男として描かれ、その片桐に対し、東京を救うためあなたの力が必要だとかえるくんは訴えます。

その理由は、片桐の勤める信用金庫新宿支店の地底には、巨大なみみずくんが住んでおり、そのみみずくんが近々大きな地震を起こす予定で、それを未然に防ぐために、2人で協力してみみずくんと闘おう、とかえるくんは片桐に説きます。


そして春樹氏は、この闘いのことを次のようにかえるくんに言わせています。


負けても誰も同情してくれず、勝っても誰も誉めてくれない孤独な闘いではあるが、遂行しなければならない。



これと同じように、世の中の圧倒的多数の人が、俗に言う成功とは無縁で、誰にも顧みられることのない日々の中で、自分の考える闘いを生き、そして死んでいきます。

阪神淡路大震災で命を落とした何千もの無名の人たちも同じであり、そんな無数の無名の人々の行動によって、我々の社会は循環しています。

そして、闘いを終えて傷ついたかえるくんは、悪臭を放ちながら大宇宙に還っていき、
物語の最後に主人公は夢から覚めます。

いわゆる夢オチですが、ここに登場するかえるくんは、これからの片桐を暗示し、またその片桐は、市井に生きる無数の平凡の人々を象徴しているのではないでしょうか。

我々人間は、夢のように儚く短い一生において、繰り返しますが、自分の正しいと考えるものに対し、多かれ少なかれ闘いを挑み、ほとんどの人は勝つにしろ負けるにしろ、注目を浴びることなく死んでいきます。

今はWEBの発達により、ツイッターのリツイートなどで個人が脚光を浴びる時代になりましたが、それでも大多数の人はそのようなものとは無縁の中で生き、そして死んでいきます。

春樹氏本人は、俗に言う成功を収め、富も名声も手に入れましたが、しょせんは邯鄲の夢の儚い栄華であり、そんなことは人生において一義的ではないと、阪神大震災における無数の人の死によって、本人は潜在顕在どちらにしろ気がついたのではないでしょうか。

そして、もしかしたら当時の自分に疑問を抱き、シャレオツ気取りの主人公ではなく、自分とは違って注目されることのない平凡な人々に光を当てたのではないでしょうか。

そのような春樹氏の想いが、同時代に生きる人々との時代的共感にまで昇華されている、と作品から感じたのは私の思い過ごしでしょうか。

またこの短編も、多崎つくると同じで物語における論理的な必然性は存在しませんが、不合理を上回る世界観が構築され、ファンタジーの中にリアリティを見出だすことができます。

最後にかえるくんは死んでいきますが、そこから感じたのは人間賛歌でした。

なぜなら、生と死は一体であり、また、人生における闘いが、たとえ誰にも顧みられなかったとしても、そこには必ず人間ドラマが存在し、人間の生きた証が存在するからです。

物語の終わり方も秀逸で、私はこの作品から閑吟集の一節が思い浮かびました。



なにせうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂へ













関連記事
村上春樹がノーベル文学賞を受賞できるたった1つの確実な理由 爆弾魔オバマを正当化することになった賞に価値はあるのか?


2017/09/13

小説の会話文に方言を使用して登場人物を区別する だがや せやろ どすえ?








舞妓(ふく乃さん)
Photo by Yoshiyuki Komori.     CC-BY-SA  55maiko.net


会話文のない小説は、稀にしか存在しません。

人間は社会的な動物であり、他者との関わり合いの中で生きており、芸術作品とは社会を映す鏡だからなのでしょうか?





特に、小説は人の生き様を表現することが多いため、会話文が出てくるのも当然と言えるでしょう。

ただし、小説における会話は、当然ですが音声ではなく文字になります。

我々が相手の言葉を読み取るときは、状況を基に、相手の性格・声の調子・顔の表情・しぐさなども加味し、総合的に判断しています。

よって、文字の会話を読み手に上手く伝えるには、それ相応の工夫が必要になりますが、基本的には周囲の地の文で説明することになります。

しかし、会話文に説明を加えても、いまいちはっきりしないことも多いため、以下のような記号を使い、情報を付加します。



 () 感嘆符

 () 疑問符

 () 三点リーダー

 () ダッシュ


それでも足りない場合は、文字のフォントや大きさを変えたり、絵文字すら使用する作家もいます。

このように、あれこれと手を加え、会話文を分かりやすくしようと努めますが、複数の人間が集まった会話になると、誰が誰だか分からなくなることが頻繁に起こります。


そこで登場するのが、方言を話す人物です。

関西弁を話す人物がいれば、当然ですが、会話の判別がつきます。

関西人はうるさいとする考えは紋切型であり、関西人だからといってギャグを求められるのは困ると言われるように、癖のある関西人を安易に頼るのは良くないかもしれませんが、1つの特徴としては描けます。

また、内気な関西人を描ければ、それはそれで特徴になります。

ただし部外者が使用すると、そんな関西弁はないなどと言われてしまうように、なんちゃって方言になってしまうことはよくあります。

ただそれでも、関西と一括りに言っても、使用されている言い回しや単語はかなりバラツキがあるようです。

関西でもこの地方では使うが、他の地方ではまったく使わない言い回しというのもあるようです。

そんな注目の的となる関西弁や、こちらも特徴のある名古屋弁など、今は標準語から様々な方言に変換してくれるサイトがいくつも存在しますので、作家の皆さんはチャレンジしてみてはいかがでしょうか?

また、舞妓さんが話す「~どすえ」は、一般の京都人は使用しないそうですが、ゆったりとした京都弁に魅力を感じるのは、私だけではないでしょう。






2017/09/05

人生に目的は必要なのか? この問いに対し、過去生命が進化してきた生物学的な観点から答えを出しました。








人生に目的など要らない、と言う人がいます。

自らの欲望の赴くまま、好きなことをして生きていけば良いとする考えや、生きてるだけで丸儲けという言葉のように、特別なことを求めず、つつがなく暮らしていけば良いとする考えがあります。

これらの意見は、物理学者のシュレーディンガーが唱えた、生物の条件である代謝だけをしているとも言えます。





代謝とは、外界から体内に物質を取り込み、合成や分解によって新たな物質やエネルギーを作り出し、生命を維持するための一連の動作のことであり、人間は呼吸や食物の摂取を通して行っています。

このように、ただ生きているだけでいい、それが人生の目的であるとする考えがあります。


2017/08/28

自分を客観視するメタ認知を鍛える方法 弱さを認める強さと感情のコントロール






もう一人の自分 影

Free-PhotosによるPixabayからの画像


自分自身の弱さと強さを知るために、子供にバンジージャンプをさせることを前回当ブログで提唱しましたが(バンジージャンプと脳幹トレーニング)、大人になってからでも大いにやる価値はあります。

命綱を身体に装着し、飛び降りる位置から下を覗き込むと、誰しもがその高さに恐れをなし、足がすくみます。




ただし、その恐怖は、生命が危機を感じたことによる警告なので、厳密には弱さとは言えません。

2017/08/21

AIが作成した小説から人工知能の未来を考えてみる  感情のないAIにベラボーな小説は書けるのか?







AI小説家 AI作家


Gerd AltmannによるPixabayからの画像 


誰にでもなれるという意味で、人類最後の職業とも言われる作家稼業ですが、Webの発達で参入障壁が低下し、世の中には様々な小説が溢れ、競争は激しさを極めています。

この混沌とした状態の中に、社会へと急速に広がる人工知能の書いた作品が参戦してくるとなると、未来はどのように進んでいくのか予測がつきません。






AIによって書かれた小説は、公立はこだて未来大学を中心とした、


きまぐれ人工知能プロジェクト 作家ですのよ


が知られており、開発当初は、ストーリーだけをAIが作成するか、文章だけをAIが作成するかの方法しかできず、完全に人手を頼らない創作は不可能でしたが、2016年に完成した、


人狼知能能力測定テスト」


という題の作品は、プロットと文章の作成をすべて機械化したものになります。

2017/08/20

常識を疑うことがアインシュタインのような成功に繋がるという事実を子育てに活かしてみます






常識を疑う

Mohamed NuzrathによるPixabayからの画像 


与えられた前提条件を疑うことのできる思考は、重大な問題を解決するために必要であることを話しました。(失敗とされるマシュマロ・テストから考える我慢と従順の違い)

与えられた前提条件を疑うこととは、言い替えれば、常識に囚われない思考ができるということになります。






やみくもに常識や権威を否定するのはお勧めできませんが、常識や権威というのは、所詮時代の潮流なだけですから、真理のような不変なものとは違い、時代が変われば同じように変わり、文化が違っても変わるものです。


2017/08/18

真の国際人になるために知らなければならないこと  日本人と欧米人の復讐心の比較 







canvaより 



前回当ブログで、復讐に関する世界の名言を幾つか載せましたが、そのすべてが復讐に否定的なものでした。(復讐の是非 小説「敵討」吉村昭 不倶戴天

復讐に関する言葉だけでなく、復讐の代替措置でもある死刑制度もEUでは廃止の方向に進み、米国でも多くの州が廃止をしています。

では、欧米人は本当に復讐をしないのでしょうか?





日本には、敵討ちが公然と認められ、称賛されていた時代があり、現在も国家による死刑制度が圧倒的多数で支持されています。

その一方で、「水に流す」という言葉があり、墓を暴いたりする中国人とは違い、死者にまで鞭を打たない民族と言われています。

大東亜戦争後、鬼畜米英から一転してGHQに従った良く言えば柔軟性、悪く言えば節操のなさが見られましたが、先の大戦に関しては、復讐心を表しませんでした。

それほど、WGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)を初めとしたGHQの日本支配が徹底していたとも言えるし、国土を焼け野原にされた日本国民は、日々生きていくことで精一杯であったとも言えるでしょう。


また、復讐を行う気骨のある人間は戦争で死んでしまい、自己保身に走った人間が生き残ったのではないかという悲しい見方もできます。


オランダ軍が管理するインドネシアのクーパンに収容され、銃殺刑を執行された、加賀藩の前田家に連なる前田利貴氏の遺書には、次のように記されています。


戦勝国の行った取り調べで、我が身可愛いさから上官や部下を売り、無事帰国した人間が多い。


ビルマで従軍した歴史学者の会田雄次氏は、自身の戦争体験から次のように述べています。


終戦まで生き残った兵士は、運が良かった者もいるが、ずるい者も少なくなかった。


また、敗戦を知らずに戦後ジャングルで戦っていた小野田寛郎氏に対し、帰国後、靖国神社へ奉納するお金を巡ってつまらない批判をした元高級将校がいたり、多くの若者を特攻で死に追いやりながら、戦後は知らぬ存ぜぬでのうのうと生き延びた特に海軍の上官は大勢いました。

イギリスでも勇敢な人間ほど戦死したため、戦後ノブレス・オブリージュが廃れてしまったという話もあります。

もちろん、立派に戦って正々堂々と帰国した日本人が、ほとんだったことでしょう。

そして彼らは、戦後の日本再建のため、脇目も振らずに尽力してくれました。

そのため、復讐などする暇がなかったかもしれず、争いなど懲りていたかもしれず、思っていたよりもGHQが善政を敷いたのかもしれませんが、
戦後の日本は、戦時国際法違反である無差別空襲や原爆投下に対し、アメリカに復讐心を燃やすことはありませんでした。

一方で英国は、大東亜戦争の緒戦におけるマレー沖海戦で、世界最強の戦艦であったプリンス・オブ・ウェールズを大日本帝国海軍に沈没させられ、イギリスのアジア植民地支配の象徴であるシンガポールや香港を失い、マレー半島を占領されました。

この南方作戦で、英国は多数の軍人や兵器を失い、太陽の沈まぬ国の面目は丸潰れとなりました。

この時のことを、イギリス軍がどのように感じていたかについては、西洋史家である会田雄次氏の著書に詳しく載っています。

会田氏は、マレー半島のビルマで終戦を迎え、イギリス軍が管理するラングーンの収容所で、捕虜として1年9ヶ月を過ごしました。

そこで会田氏が見聞きした、日本人捕虜に対するイギリス軍の恐るべき復讐を、氏の著書である「敗者の条件」から要約してみます。

収容所には多数の日本人捕虜がおり、その中には何百人かの死刑囚がいました。

ある日会田氏は、若い英国人将校の口から、こんな言葉を聞きます。



ジャップは死ぬことを何とも思っていない。このような信念を持つ人間に、肉体的苦痛や死を与えても復讐にはならない。だから我々は、ジャップの精神を破壊してから殺すのだ


会田氏は、この言葉の意味が始めは分からなかったそうですが、半年後に合点のいく事件に遭遇することとなります。

あるとき日本人の捕虜たちは、戦犯に恩赦を与える動きがあることを、弁護人から伝え聞きます。

イギリス本国で英国王が検討中であることを知らされますが、結局その話は立ち消えとなりました。

そしてあるとき再び、今度は現地軍司令部が、善意を持って戦犯の減刑を推し進めているとの情報を耳にします。

しかし、最終的に恩赦は何ら実施されず、すべての死刑囚は刑を執行されました。

つまり、恩赦の情報は嘘であり、死刑囚を絶望へ突き落とすための罠だったのです。



死刑を宣告された者は、間違いなく心を取り乱します。


特に、事後法による戦勝国の裁判で、無実の罪を着せられた者たちは尚更のことでしょう。

それでも日本の軍人たちは1つの運命であることを悟り、死を受け入れていきました。

その覚悟を決めた死刑囚に対し、生きて故郷の土を踏めるかもしれない情報を流し、二度もの僥倖を期待させ、生への希望が膨らみに膨らんだところで死刑を実行する。



これほどの復讐はありません。


そして、先に名前を挙げた前田大尉も、死刑の宣告を受けたあと、宣教師から恩赦の情報を受け取っています。

結局、この恩赦はイギリス軍と同じで実行されず、前田氏は、オランダ軍による銃殺刑で死んでいます。

前田氏も同じく2度も減刑を聞かされたようで、喜びの赤飯まで炊いたと記しています。


そして、前田氏の減刑に関する偽情報には話の続きがあります。

私はこれを読んだとき慄然としました。

これが血の通う人間の所業であろうかと、我が目を疑いました。

それは、前田氏が死ぬ前に、キリスト教に回心していたことでした。

言うまでもなく宗教とは、精神の拠り所となるものであり、当時の日本人は天皇を現人神と崇め、敗北が濃厚となると天皇陛下万歳とまで叫んで自決したように、神道や天皇を頑なに信じており、そんな日本人を、当時の敵国宗教であるキリスト教に改宗させたことは、どんなやり取りがあったにせよ、充分すぎる復讐にはなったでしょう。

この偽情報に関し、宣教師がどれほど関与していたのかは分かりませんが、二度までも死刑廃止のデマ情報を流し、
神道を捨てさせるまで前田氏の精神を屈伏させたことは、まさに悪魔の所業と言えるでしょう。

前田氏が語ったように、上官や部下を売った人間が多いという言葉は、それこそ戦勝国の離間工作や復讐の一環と考えられ、自分の命を天秤に架けられたら、裏切らざるを得ない部分はあったとは思います。

前田氏自身は部下に恵まれ、一身に責任を背負って銃殺刑を受けていますが、仲間を裏切る人間の本性を数多く見せられ、そんな追い討ちをかけられた状況で恩赦の嘘情報を二度も受け取り、一度は赤飯を炊いて生還の喜びを分かち合った中で、最後は結局死刑を執行されたことを考えると、余程強靭な精神を持つ人間でも、この揺さぶりには耐えられないでしょう。

前田氏は、銃殺の直前に大きな声で歌を歌い、笑い声を上げて死んでいきました。

この勇敢な散り際は、前田氏を産み育てた日本の精神にあると思いますが、もし彼らが心の底でほくそ笑んでいたとしたら、これ程の快感はないでしょう。


このように、欧米人の底流には、飽くなき勝利への執念が流れており、また勝ち得た後も、闘争の精神を失わないようです。

ヨーロッパの城や中世の町役場では、牢屋が居室の近くにあるそうです。

その理由は、捕らえた敵将を生かさず殺さずの状態にしておき、喚(わめ)いたり、哀れみを乞うかつてのライバルを間近で眺めることで、いつまでも勝利の快感に浸るためであったそうです。

この話はルネサンス時代の逸話ですが、他にも、マキャヴェッリが称賛した残忍な男の代名詞である
チェーザレ・ボルジアや、倒した王をバルサム漬けにして飾っていたナポリ王フェルディナンド1世など、勝負に対する驚くべき話題に事欠きません。

これら勝敗への態度が、現代の欧米人の内にも流れていることだけは覚えておいたほうがいいかもしれません。

そうすると、なぜ復讐を否定する言葉が後世に伝えられたのかや、ヨーロッパやアメリカで死刑制度が廃止されているかが、解けるような気もします。

つまり、自分たちが復讐される側や、加害者の立場になりうることを、感じていることの裏返しであるということです。


各国が死刑廃止に至った要因は複合的で、一概に論じることはできませんが、日本人が死刑に賛成する理由は、自分は極悪な罪など犯さず、自分を陥(おとしい)れるような人間も周りにはおらず、死刑される立場にはならない、
という大前提があるからでしょう。

それは、世界と比較した日本の殺人発生率や治安の良さから分かります。

しかしそのことは、多少暴論ですが、闘争心やハングリー精神を欠いた、日本の一面を表していると言えるでしょう。

そんな大人しい国民の住む日本にも、ルネサンスと同じような空気が流れていた時代がありました。


それは、血で血を洗う争いをしていた戦国時代です。

権謀術数が渦巻く世界の中で、華々しく生を散らした元亀天正の武者たちの精神が、我々の内にも流れているはずです。


お人好しで結構

平時と戦時では事情が違う


確かにそうかもしれません。

ただ、世界史とは侵略と殺戮の歴史です。

日本のように、海という天然の要塞に囲まれ、豊かな大地に育まれてきた民族には想像もつかない厳しい環境が世界にはあります。

ユダヤの口伝であるタルムードには、以下のような峻烈な教えがあります。



ユダヤ人のみが人間である。

ゴイム(非ユダヤ人)は人間ではなく、ユダヤ人に所有され、ユダヤ人に奉仕するための家畜である。


こんなものを正当化させてはなりませんが、厳しい環境を生き抜く術として生まれ、育まれてきたのでしょう。

そして、こんな思想を背景に持つユダヤ資本が世界市場を席巻しているのです。

もしあなたが世界に飛び出していくのならば、ひとたび隙を見せたら寝首を掻く、勝負に徹する人間がいることだけは頭に入れておいた方がいいでしょう。

ただ同じ人間として、命取りになる甘い考えかもしれませんが、どこかで分かり合えると信じたいものです。







参考文献